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清霜 ( リダイレクト:清霜 (駆逐艦) ) : ウィキペディア日本語版
清霜 (駆逐艦)[きよしも]

清霜(きよしも)は、大日本帝国海軍駆逐艦#達昭和18年8月(2)pp.45-46『達第二百二號 昭和十七七年度及昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、海防艦四隻、掃海艇一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年八月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 秋霜(アキシモ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 清霜(キヨシモ) 海防艦 笠戸(カサド)|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 淡路(アハヂ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 倉橋(クラハシ) 海防艦 千振(チブリ)|株式會社東京石川造船所ニ於テ建造 第三十號掃海艇|株式會社新潟鐵工所ニ於テ建造 第五十八號驅潜艇』〕。一等駆逐艦夕雲型の19番艦であり、最終艦である。
== 艦歴 ==
1942年度(マル急計画)仮称第347号艦として計画され、浦賀船渠の第517番船〔として建造される。1943年(昭和18年)8月30日、清霜と命名された〔。同日附で夕雲型18番艦秋霜等も命名〔。2隻(秋霜、清霜)は駆逐艦一等夕雲型に分類される〔#内令昭和18年8月(5)p.15『内令第千七百七十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十八年八月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|駆逐艦、一等夕雲型ノ項中「早霜」ノ下ニ「、秋霜、清霜」ヲ加フ(以下略)』〕。
1944年(昭和19年)3月4日、浦賀船渠に清霜艤装員事務所を設置〔『○事務開始(略)清霜艤装員事務所ハ三月四日神奈川縣横須賀市谷戸六番地浦賀船渠株式會社浦賀造船所内ニ於テ事務ヲ開始セリ』〕。3月5日附で、日本海軍は睦月型駆逐艦11番艦望月駆逐艦長等を歴任した宮崎勇少佐を清霜艤装員長に任命する。
5月16日竣工〔。宮崎艤装員長も正式に清霜初代駆逐艦長となった。海軍に引き渡されて〔#S1812十一水戦(4)p.61『一六日〇七三〇清霜駆艦長(宛略)機密第一六〇七三〇番電 駆逐艦清霜ヲ受領セリ但シ水中聴音機ハ實用ニ適セズ』〕横須賀鎮守府籍となり〔#内令昭和19年5月(2)p.13『内令第六百八十三號 驅逐艦 清霜 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル|昭和十九年五月十六日 海軍大臣 嶋田繁太郎』〕、同日附の戦時編制の改定により第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編入された〔#S1812十一水戦(4)p.61『一六日一〇二六總長(宛略)発軍令部総長 帝国海軍戰時編制中左ノ通改定セラル 五月十六日附清霜ヲ十一水戰ニ編入ス』〕。だが、水中聴音器の不良により横須賀で補修整備を行う〔#S1812十一水戦(4)pp.63-64『十八日一二〇〇清霜駆逐艦長(宛略)機密第一八一二〇〇番電 発清霜駆逐艦長』〕。23日に内海西部に到着し〔#S1812十一水戦(4)p.50『(四)麾下艦船竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動』〕、以後訓練にあたった。5月末の第十一水雷戦隊は、軽巡2隻(長良、名取)、秋月型駆逐艦2隻(霜月、冬月)、吹雪型駆逐艦2隻()夕雲型清霜、松型駆逐艦1番艦神風型駆逐艦9番艦夕凪という戦力だった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Japanese destroyer Kiyoshimo 」があります。




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