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済公(さいこう、1148年 - 1209年)は、南宋の杭州(当時の臨安府)の臨済宗の僧。実際の戒名は道済(どうさい)という。戒律を守らず、風狂で知られ、なかば伝説的な存在として後世の小説や語り物の主人公となり、また仏教を離れて民間信仰の対象となった。 済公活仏、済顛、済書記など、さまざまな呼び名で知られ、現在も中華圏で人気のある人物である。 == 実在の人物 == 道済については同時代の記録が多く残っており、実在の人物であることは明らかである。道済の知人であった居簡の「湖隠方円叟舎利塔銘」によると〔 (archive.org)〕、道済は湖隠とも方円叟とも言った。俗姓は李であり、天台・臨海(今の浙江省台州市)の都尉であった李文和の遠孫にあたる。霊隠寺で仏海禅師(瞎堂慧遠)の弟子になった。嘉定二年(1209年)五月十四日に浄慈寺で没した。各地を旅行し、酒を飲んだという。 道済ははやくから顛狂で知られ、その没後間もない13世紀の禅僧の語録に、しばしば「済顛」の名であらわれる。運庵普岩(1156-1226)の語録にある「賛仏祖」では「済顛書記」を観音大士・達磨大師・百丈大師・布袋和尚と並べて賛嘆しており、すでに伝説の人になっていたようである。また、天童如浄(1163-1228)の語録にも「讃仏祖」があり、その「済顛」詩には、「天台山裏五百牛、跳出顛狂者一頭。賽尽煙花瞞尽眼、尾巴狼藉転風流。」と詠まれている。これは後に済公を五百羅漢の生まれかわりとする伝説を生んだ。 道済が作ったとされる詩文は『浄慈寺志』や『台山梵響』(台山出身者の詩集)に残されているが、いずれも清の時代の書である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「済公」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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