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済南市(さいなんし/チーナンし、中国語:、英語:Jinan)は中華人民共和国山東省に位置する副省級市。山東省の西部に位置し、省都として省内の通商、政治、文化の中心としての地位を占める。市中を黄河が流れ、南には泰山が控えている。人口のほとんどは漢族であるが、満族や回族なども居住している。 言語は北京語に近いが声調がひどく訛る山東方言がある。済南は北京料理のもととなった、やわらかくて塩辛い「魯菜」(山東料理)でも知られている。城内に「天下第一泉」と呼ばれる趵突泉をはじめとする「七十二名泉」と呼ばれる水量の多く美しい泉水があるため、都市の別名を「泉城」という。豊かな自然と歴史資源を持つため、国家歴史文化名城に指定されている。 == 沿革 == もともと河南省済源市を源流とする済水という川がこの地を流れていたため、その南に前漢時代に済南郡が置かれたのが名の始まりである。後に黄河の流れが変わったとき、済水の河川敷はそのまま現在の黄河下流となってしまった。 史記によれば、三皇五帝のひとり、舜は歴山(現在の千仏山)で耕作と狩猟をしたという。このため市内には舜にちなんだ泉や地名が多い。 実際にもここが黄河文明の中心の一つだったと見られる。1930年、市南部の章丘市龍山鎮から黒陶が発掘され、青銅器文化にいたる直前の龍山文化はこの地から名づけられた。現在の市街の下にある古代の都市跡は、その居住は殷のはじめ頃に遡ると考えられている。周代から次第に繁栄し、西晋時代には仏教が広まるとともに多くの仏教寺院がこの地に集中し、仏教の中心の一つとなった。 北宋時代には章丘に女流詩人・李清照と夫の金石家・趙明誠が住み『金石録』を編むなど、済南は詩や書画などの文化の都として知られた。清代にも蒲松齢、王士禎などの文人がここで活躍するなど、文人の都としての伝統は長く受け継がれた。また中国のみならず世界最古の広告チラシの印刷用の原版(銅でできた板に『濟南劉家功夫針鋪』とあり、現在上海博物館所蔵)が出土するなど、商業都市としても知られ、王朝の中でも収める租税の額が最高に近かった。明代からは山東省の省都となっている。 商業都市としての重要性は清代、中華民国時代にも続き、近代以降は日本人を含む多くの外国人が商取引のため居住した. 日本総領事館、日本郵便局、国民学校、華北交通支店、日本陸軍師団本部が置かれ、多くの日本人が住む商都となった。民国の内戦中に日本人居留民が巻き込まれる済南事件が起こっている。日中戦争で破壊をまぬがれ戦前の建物が市内中心部に多く残されており、改革開放後は商工業都市として順調に成長している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「済南市」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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