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済州特別自治道(チェジュとくべつじちどう)は、大韓民国本土南西部に位置する済州島全体と牛島、馬羅島などの付属小島嶼を道としている行政区。道都は済州市。南部には2002サッカーワールドカップの開催地、西帰浦市もある。 道内には、韓国政府支配地域最高峰の漢拏山がそびえたち、一帯は「済州の火山島と溶岩洞窟」としてユネスコの世界遺産に登録されている。韓国国内で鉄道、高速道路、一般国道が通っていない唯一の道でもある。2006年7月1日から済州特別自治道に変更された。 == 歴史 == 古代には耽羅国として自立した存在であったが、日本書紀に日本に朝貢したとの記述があるなど、倭、百済、新羅に朝貢して間接的な支配を受けた。 938年には高末老が高麗に入朝、服属している。1105年高麗は耽羅国号を廃止し、耽羅郡を設置したが、旧支配層の地方支配は認められた。 1259年に高麗がモンゴル元朝に服属すると、済州島はモンゴルの直轄領となり、大規模な馬牧が設置された。 1271年、珍島でモンゴル・高麗連合軍に敗れた金通精率いる三別抄がそれ以降済州島に移って抗戦を続けた。三別抄は島民を巻き込みながらゲリラ戦を行なったが、1273年4月、金方慶と洪茶丘率いる高麗軍によって三別抄は壊滅した。同年モンゴルは済州島に耽羅総管府を設置した。 1294年には再び高麗に帰属し、済州の名称に戻った。李氏朝鮮初期には済州牧が設置されている。 * 1416年: 済州牧に旌義県、大静県を設置 * 1864年: 旌義県、大静県を郡に昇格、全羅道観察使の管轄下に置く * 1880年: 再び県に戻す * 1895年: 二十三府制の施行により済州牧を府に改編し観察使を置く。済州府が済州郡・旌義郡・大静郡を管轄。(3郡) * 1896年: 済州島全域が全羅南道に属し、済州郡が済州牧に改編。(1牧2郡) * 1906年: 牧使を廃止。(3郡) * 1910年: 旌義郡・大静郡の両郡を済州郡に統合。(1郡) * 1915年: 郡制を廃止、島制に改編。(1島) * 1946年8月1日: 全羅南道から分離し、済州道制実施。(2郡1邑12面) * 1955年9月1日: 北済州郡済州邑が済州市に昇格。(1市2郡) * 1981年7月1日: 南済州郡西帰浦邑・中文面を合併し、西帰浦市に昇格。(2市2郡) * 2006年7月1日: 済州特別自治道に改編、済州市と西帰浦市の2行政市になる 初代知事金泰煥。(2市) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「済州特別自治道」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jeju Province 」があります。 スポンサード リンク
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