翻訳と辞書
Words near each other
・ 渋川マリン水族館
・ 渋川一流
・ 渋川万寿丸
・ 渋川中学校
・ 渋川伊熊中継局
・ 渋川伊香保IC
・ 渋川伊香保インターチェンジ
・ 渋川佑賢
・ 渋川光洪
・ 渋川六蔵
渋川兼氏
・ 渋川則休
・ 渋川剛気
・ 渋川動物公園
・ 渋川北中学校
・ 渋川北小学校
・ 渋川南小学校
・ 渋川善助
・ 渋川地区広域市町村圏振興整備組合
・ 渋川女子高校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

渋川兼氏 : ミニ英和和英辞書
渋川兼氏[しぶかわ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しぶ]
 (n) astringent (puckery) juice (of unripe persimmons)
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [けん]
  1. (conj,n) and 2. in addition 3. concurrently 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

渋川兼氏 ( リダイレクト:渋川義顕 ) : ウィキペディア日本語版
渋川義顕[しぶかわ よしあき]

渋川 義顕(しぶかわ よしあき)は、鎌倉時代中期の鎌倉幕府御家人足利泰氏の次男。渋川氏の初代当主。
上野国渋川荘(現在の群馬県渋川市)を領し渋川を号する。その動向は不明な点が多いが、兄・家氏と共に御家人として鎌倉将軍に仕えたといわれ、吾妻鏡では寛元3年(1245年)の鶴岡八幡宮放生会に臨む将軍・藤原頼嗣の随兵を務めたとある。また康元元年(1256年)に将軍・宗尊親王北条政村の邸宅に出向いた際に供奉したとあるが、これを最後に義顕の記述が消えるため、以降の行方は不明である。
家氏と同母兄弟であったが、父・泰氏が得宗家から正室を迎えたため足利家の家督は弟の頼氏が継いだ。そのため足利一門中での家格は高かったものと思われる。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「渋川義顕」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.