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渋川 義満(しぶかわ よしみつ)は、戦国時代の武将。足利氏の傍流・渋川氏当主で、足利将軍家の御一家にあたる。備後国小童山城主。諱は義満で、「義」の字は、足利将軍家よりその通字を授与されたものであり、「満」は祖先にあたる渋川満行・満直父子が室町幕府3代将軍・足利義満より偏諱を賜った字をそ取ったものである。 == 生涯 == 渋川義正の子として誕生。 渋川氏は足利氏の支流であるばかりでなく、室町幕府2代将軍足利義詮の正室・幸子(義満の養母)の生家でもあり、足利氏一門の中でも将軍家の家族として遇された名門である。また、母が安芸国の国人・毛利弘元の女にあたり、この縁から毛利家の保護下にあったが、家臣としての記録は無く、あくまで将軍家一門の名族・客将として家名を保った。1562年、備後守護も毛利隆元となる。また、九州探題家渋川氏の末裔であることから、毛利家家中からは今探題と称されたという。 元亀4年(1573年)に死去し、名族としての渋川氏は義満の死を以って消滅したされる。 『芸藩通志』には、子として新衛門なる人物が見え、帰農したとされるが真偽は不明である。息女は毛利輝元の仲介で旧守護・大内氏の庶家にて毛利家臣・冷泉元満(冷泉隆豊次男)の正室となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渋川義満」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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