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渋江 正真(しぶえまさざね、生没年不詳)は、江戸時代前期の軍学者。通称は清兵衛。 == 人物 == 越前国の出身であるという〔『日本兵法史 上』423-424頁、『北条流兵法』30頁、463頁〕。 関ヶ原の戦い後、越前北庄67万石に封ぜられた結城秀康によって、慶長6年(1601年)9月から行われた北庄城(福井城)の改修では、正真が外郭(総曲輪)及び加賀口の馬出の縄張りを担当したとされる〔『越藩史略 巻之1-3』71頁 〕。なお、本城(本丸)の縄張りは吉田好寛(修理)が、外城(二の丸・三の丸)の縄張りは水無瀬兵庫が行ったという〔。一方で、本丸は徳川家康が手ずから縄張りし、本丸以外は吉田修理、清水丹後が縄張りしたとの異説もある〔『越前国名蹟考 巻4-7』498頁 〕。 慶長19年(1614年)から翌年にかけての大坂の陣では、結城秀康の次男・松平忠昌に属して従軍したとされる〔『越藩史略 巻之1-3』71頁 、『越藩史略 巻之1-3』113頁 〕 甲州流軍学を大成した小幡景憲に軍学を学び、後にその教えを軍学者・片山良庵に伝えたとも〔、あるいは、小幡景憲の高弟で北条流軍学の祖・北条氏長から氏長が著わした兵法書『兵法師鑑』を伝授され、後にこれを片山良庵に伝えたとも 〔『一騎武者受用巻講義』 3/52コマ右頁 - 福井市立図書館 越国文庫コレクション、『富山藩武術ニ関スル記録』 57/61コマ右頁 - 富山県立図書館サイト古絵図・貴重書ギャラリー〕言われる。 正真の軍学の門人で、正真と同じく越前出身の戸田三佐衛門実縄は、対馬藩第3代藩主である宗義真に仕えた。その子弟らにより、正真から戸田実縄に伝えられた軍学の系統は、長く対馬藩に残されたとされている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渋江正真」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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