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渡辺 すみ子(わたなべ・すみこ 1916年11月28日 - 2010年11月2日)は、日本の元陸上競技選手、指導者。 == 経歴・人物 == 1916年11月28日、愛知県名古屋市出身。 若年時より陸上競技を始め、名古屋高等女学校在学中の1931年~1933年には日本陸上競技選手権大会短距離女子100m走にて3年連続優勝を果たす。特に1932年大会の優勝タイムである12秒2は当時の日本記録であった。 1932年のロサンゼルスオリンピックに出場し、女子100mでは準決勝敗退、女子4×100mリレーにて5位入賞という結果を残している。ちなみにこのロサンゼルス・オリンピックの渡辺は15歳、当時のオリンピック陸上競技日本代表選手として最年少での出場であり、板倉美紀(当時:金沢高等学校)が1992年バルセロナオリンピック女子競歩10㎞に17歳で出場するまで60年間破られることがなかった〔土井、17歳板倉の記録を更新へ 産経新聞 2012年7月3日閲覧〕。 ロサンゼルスオリンピックの後に中京大学創設者の梅村清明と結婚。結婚後は梅村すみ子を名乗る。 第二次世界大戦で夫が出征し、戦後のシベリア抑留で不在の際には学校法人梅村学園園長代理を務め、学園経営に尽力した。 一方で指導者・教育者としては中京大学体育学部教授(専門は陸上競技)を務め、また中京大学陸上競技部女子部の初代部長を監督兼任で務めた。1964年の第18回東京オリンピックでは女子チーム強化コーチを担当した。 2010年11月2日、老衰の為に死去〔梅村学園の発展に多大な功績 梅村すみ子先生逝去される 中京大学プレスリリース 2010年11月2日告示〕。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡辺すみ子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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