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渡辺在綱 : ミニ英和和英辞書
渡辺在綱[つな]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [へん]
 【名詞】 1. (1) area 2. vicinity 3. (2) side (of triangle, rectangle, etc.) 4. (3) circumstances 

渡辺在綱 : ウィキペディア日本語版
渡辺在綱[つな]

渡辺 在綱(わたなべ ありつな、文政3年(1820年) - 慶応4年1月20日1868年2月13日))は、幕末尾張藩家老明治維新青松葉事件にて処刑された。 現時点では、渡辺新左衛門在綱及び他の尾張藩士が朝命により青松葉事件で処刑されたのは冤罪だったという考え方が通説になっている。
尾張藩重臣渡辺新左衛門維綱の長男として、文政3年(1820年)に名古屋で生まれる。通称は、初め半七、後、半十郎、新左衛門。母は同族で尾張藩の御年寄加判を務めた渡辺源太左衛門豊綱の娘と志。正室は、御附家老成瀬隼人正家の筆頭分家で同じく尾張藩重臣で三千五百石の成瀬半太夫正房の娘みつ。子には長女千代、次女ゆき(中西真之助妻)、長男半十郎宏綱、二男亘、三女ふで(初め尾張藩士中川庄助妻、後本多氏妻)、四女志やう(長谷氏妻)、三男鋭三がいる。弟に同じく尾張藩士の渡辺源吾、甥に源吾の息子で明治時代の小説家として知られる渡辺霞亭(渡辺勝)がいる。
徳川十六神将の一人で「槍の半蔵」として著名な渡辺半蔵守綱の弟で徳川家康の御旗奉行を務め、長篠の戦い真田源太左衛門信綱を討ち取る等の手柄を立てた渡辺新左衛門政綱に始まる渡辺新左衛門家は、政綱の嫡男で家康の命により尾張藩に配属された渡辺新左衛門秀綱惣領だった渡辺若狭守直綱紀伊和歌山藩徳川家に召し出されて八千石を賜り同藩の家老になり、秀綱三男で直綱の実弟の渡辺新左衛門景綱が父秀綱の家督を継いて尾張藩の御年寄加判となるという、徳川家内では名門だった。在綱の父新左衛門維綱は渡辺新左衛門景綱の直系の子孫であり、尾張藩の家老(御年寄並加判)を務めた。
渡辺在綱は、弘化2年(1845年)に部屋住みにて尾張徳川十三代徳川慶臧に初御目見、300石を賜る。同日御用人となり、700石の足高を受ける。嘉永元年(1848年)、御側御用人となる。嘉永7年(1854年)に米艦黒船浦賀に再来航した折には、在綱は尾張藩警衛隊の隊長として尾張藩邸の隣りの築地浜御殿に大砲を並べ、尾張藩士を指揮した。
安政6年(1859年)8月27日、父維綱死去。在綱が家督2000石を相続。尾張徳川十五代徳川茂徳の信頼を得て、文久元年(1861年)に御側御用人、翌年に御城代並となる。更に文久3年(1863年)に尾張藩御年寄列となり、通称を半十郎から新左衛門に改名する。
渡辺在綱は自費で仕込み銃・西洋馬具などを購入し、更に私財をなげうって大砲を鋳造した。
元治元年(1864年)第一次長州征伐の折には尾張藩士を指揮。御用人千賀与八郎信立、加判滝川又左衛門忠貫とともに、尾張藩としては珍しくオランダ製ゲーブル銃やイギリス製ミニエー銃で武装した一隊を指揮して征長総督・徳川慶勝に従って広島まで軍を進めた。同年11月18日、芸州浅野家家老・浅野右近邸で、徳川慶勝成瀬隼人正正肥、滝川又左衛門忠貫に並んで国司信濃親相益田右衛門介親施福原越後元僴首実験に列座した。また翌年の第二次長州征伐では、在綱は尾張藩の殿軍の隊長として参加した。
同年、渡辺新左衛門家の本家・渡辺半蔵家当主であり尾張藩御年寄加判を務めていた渡辺飛騨守綱倫が自殺。渡辺半蔵家を相続したまだ1歳にもならない遺児の渡辺半蔵綱聡を、在綱は実質的本家統一者及び後見者として指導した。
尾張藩内佐幕派の領袖と目されていた在綱は、慶応4年(1868年)1月20日、名古屋城二丸御殿向屋敷にて朝命により斬首された(青松葉事件)。討手の新野久太夫は新左衛門家伝家の宝刀・志津三郎兼氏作の刀で介錯した。法名は岳丈、名古屋守綱寺に葬られ、現在墓は名古屋平和公園守綱寺墓地に在る。尾張藩士渡辺新左衛門家は家名断絶となり、家族及び家来は他家預けになった。なお、現在では青松葉事件は冤罪だったという見方が有力である。
尾張藩士渡辺新左衛門家の名跡は、一時的に分家・尾張藩士渡辺九八郎家の渡辺九八郎安綱が継ぐこととなる。在綱の長男で惣領だった渡辺半十郎宏綱は尾張藩重臣織田萬弥信重家に預けられている間に肺結核で死去。明治3年(1870年)に新左衛門家が家名の復活が許されて五十俵の家禄が給与されたとき、在綱二男の渡辺亘が新左衛門家を相続した。
渡辺新左衛門家はその後渡辺亘(法名岳源)の長男渡辺莫(法名岳誠)、莫の従兄弟で渡辺新左衛門在綱の四女志やうの三男の渡辺易(法名岳易)、そして易二男の渡辺次郎と続いている。
在綱には「鉄砲新左」、「青松葉」などという異名があったという。
渡辺新左衛門在綱は島崎藤村長編小説夜明け前』、城山三郎著の長編小説『冬の派閥』にも登場する。
== 参考文献 ==

*水谷盛光著 『実説・名古屋城青松葉事件 -尾張徳川家お家騒動-』
*水谷盛光著 『尾張徳川家明治維新内紛秘史考説 -青松葉事件資料集成-』
*徳川林政史研究所所蔵「藩士名寄」



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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