|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 辺 : [へん] 【名詞】 1. (1) area 2. vicinity 3. (2) side (of triangle, rectangle, etc.) 4. (3) circumstances ・ 幾 : [ほとほと] 1. (adv) quite 2. greatly ・ 春 : [はる] 1. (n-adv,n-t) spring
渡辺 幾春(わたなべ いくはる、明治28年(1895年)- 昭和50年(1975年))は、昭和時代に活躍した名古屋の日本画家、版画家。 == 来歴 == 明治28年、名古屋市西区江川端町に生まれる。9歳の時、名古屋の日本画家、水谷芳年に師事、日本画を学んだ後、大正6年(1917年)、上京している。翌大正7年(1918年)に23歳で、第12回文展に出品した「百日紅」が初入選を果たす。その後、大正11年(1922年)京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)別科に入学、同年、第4回帝展に「若き女」で入選する。また、同年から大正14年(1925年)まで、同校を卒業後には京都において山元春挙に師事している。 29歳で名古屋へ戻った幾春は大正13年(1924年)、朝見香城、喜多村麦子、織田杏逸ら地元在住の画家たちと中京美術院を創立、日本画の革新を目指した。この後、京都及び名古屋を拠点に画壇で活躍、浮世絵をベースにした幾春の穏やかな美人画は大正から昭和の初期になると、緊張感の溢れる大胆な画面になっていった。主に新版画といわれる木版画を制作しており、代表作として、「昭和美女姿艶」シリーズが挙げられ、版元、制作経緯は不明であるが、当時のモダンガールの風俗を明瞭に伝えている。 第二次世界大戦後は画壇とは没交渉となったが、絵は描き続け、再び温和かつ平明な画風に戻っている。幾春の作品数点は名古屋市美術館に収蔵されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡辺幾春」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|