|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 辺 : [へん] 【名詞】 1. (1) area 2. vicinity 3. (2) side (of triangle, rectangle, etc.) 4. (3) circumstances ・ 幾 : [ほとほと] 1. (adv) quite 2. greatly
渡辺 幾治郎(わたなべ いくじろう、1877年 - 1960年〔〔生年については異説があり、国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス では1867年生まれ、 渡辺幾治郎単行書一覧 では1878年生まれとされている。 〕)は、日本近代史を専門とする歴史家である。 == 来歴 == 1877年(明治10年)に生まれ、早稲田大学文学部史学及英文科卒業、京都帝国大学文化大学史学科専科卒業、和歌山県誌編纂主任を経て、1915年(大正4年)、 明治天皇紀を編修する宮内省の臨時編修局(のち臨時帝室編修局)に入り、編修(のち編修官)に就任する〔。 1933年(昭和8年)、明治天皇紀の完成に伴い退官する。その後、春畝公追頌会において伊藤博文伝の編集に参加し〔渡辺幾治郎単行書一覧 。〕、1937年(昭和12年)、憲政五十年史を編纂する衆議院憲政史編纂会の編纂主任となる。 1946年(昭和21年)、尾崎行雄らと連名で憲法草案を発表する〔尾崎行雄、岩波茂雄、渡辺幾治郎、石田秀人、稲田正次、海野普吉「憲法懇談会の日本国憲法草案 、1946年。〕。のち、早稲田大学大隈研究室に勤め大隈文書目録編纂の主任となる〔近代日本史料研究会、科学研究費成果報告書「日本近代史料情報機関設立の具体化に関する研究」、研究会速記録8、佐藤能丸氏 、2000年。〕。1960年(昭和35年)82歳で死去〔。 渡辺が収集した書籍・資料は、「渡辺文庫」や「渡辺幾治郎収集謄写明治史資料」として早稲田大学が所蔵している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡辺幾治郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|