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渡辺 正(わたなべ まさし、1936年1月11日 - 1995年12月7日)は、日本のサッカー選手、及び指導者。選手時代のポジションはフォワード。サッカー日本代表選手として出場したメキシコオリンピックでは、この大会から初めて怪我などの理由を伴わない選手交代が認められた為、今で言うスーパーサブ役を担い、銅メダル獲得に貢献〔 サッカー・渡辺正 窮地を救った同点弾 - 一般社団法人 日本トップリーグ連携機構 〕〔サッカーの話をしようNo.95 3人目の交代をどう使うか-大住良之オフィシャルアーカイブサイト 〕。また、気性の激しい選手としても知られた元祖"闘将"〔〔週刊サッカーマガジン2012年6月5日号p77〕。晩年は日本代表監督も務めた。広島県広島市大手町(現・同市中区)出身〔今子正義『W杯サッカー日本の礎 原爆少年サッカー魂』南々社、2014、p180-185〕。 == 来歴 == 実家は原爆爆心地にあった日蓮宗本経寺〔。原爆で寺に残った父を失うが、自身は集団疎開で難を逃れる〔。子供の頃、原爆で焼け野原になった町で、壊れた墓石運びの手伝いをさせられ、これが足腰の鍛錬になった〔。広島市立千田小学校、広島市立国泰寺中学校を経て、崇徳高等学校へ進学するが、同校にサッカー部がなく、一年の二学期に編入試験を受け広島市立基町高等学校へ転入学〔。同校卒業後、同郷の名将・寺西忠成が監督を務めていた八幡製鉄サッカー部(後の新日本製鐵八幡)に入部した。当時の八幡製鉄は広島出身者が多数を占め、荒っぽい広島弁が飛び交う「野武士軍団」だったが、中でも渡辺の個性は出色で、チーム一番の酒豪で連夜ネオン街に繰り出し、泥靴で寝床に入ることもしばしばだったと言う〔〔。八幡製鉄は渡辺が入社した年から勝星を伸ばし全日本の大会で次々と好成績を収めた〔。 また負けず嫌いな性格から一度八幡製鉄を辞め、1958年に立教大学に入学してサッカー部に所属。在学中の1959年に関東大学サッカーリーグ戦1部で優勝を経験した。大学卒業後の1962年に再び八幡製鉄に入った〔。1960年前後の八幡黄金期の原動力として活躍〔。その熱血漢振りから「闘将」と呼ばれた〔。 1960年、ローマオリンピック予選から全日本に選ばれる。1964年、東京オリンピック、1968年、メキシコオリンピック連続出場。メキシコオリンピックから、怪我等の理由を伴わない交代が1試合2名まで初めて認められた為〔、日本はこの新ルールを積極的に使い、FW(ウイング)の渡辺正を現在でいうスーパーサブにして成功した〔。メキシコでは、松本育夫と右ウイングの位置を分け合い、右サイドを高速で駆け上がりゴールを奪った。この大会6試合、日本の9得点のうち7得点が釜本で、あとの2得点は渡辺が挙げたものである〔。特に1次リーグ2戦目の対ブラジル戦では、1点リードされ敗色濃厚の後半終了間近に投入されると、杉山隆一の左からのクロスを釜本邦茂が相手選手3人に競り勝って頭で折り返し、ゴール前に詰めた渡辺がダイレクトボレーで決めた。この同点弾がなければ、銅メダルもなかった〔。異常な才能、或いはカンで、はるかに前からボールの落ち所を正確に予想し、渡辺に魅せられているかのように目の前にボールが落ちてきたという。代表通算39試合出場、Aマッチ通算12得点は歴代13位の記録。 晩年はプレーの切れ味こそ衰えたものの、ゴールへの執念はなお健在で、ゴール前のスペシャリストと呼ばれた。 1969年には八幡製鉄のプレイングマネージャーとなり、選手引退後も1975年まで監督を続けた。また1973年には日本代表ユース監督を兼ね、1977年-1979年に日本代表コーチ、1980年に日本代表監督を歴任し、木村和司、風間八宏、田嶋幸三、西村昭宏など若き才能を多く抜擢した。 しかし代表監督就任から5ヶ月でクモ膜下出血で倒れ、左半身不随となる。代表監督が任期中に倒れたのは渡辺とオシムだけ。この時は急遽、川淵三郎が後任となった。懸命なリハビリの末、半年後には新日鐵東京本社で業務に復帰するまで回復した。1984年、母校・立教大学サッカー部の監督に就任。1987年からは日本サッカー協会へ出向した。 1995年12月7日、千葉市で心不全により死去した〔「渡辺正氏死去」 朝日新聞、1995年12月9日、2014年9月22日閲覧〕。2006年、日本サッカー殿堂入り〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡辺正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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