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渡辺 規綱(わたなべ のりつな)は、尾張藩家老、渡辺半蔵家第10代当主。茶人。 == 生涯 == 三河奥殿藩主松平乗友の次男として江戸に生まれる。享和2年(1802年)、叔父の三河寺部領主・渡辺綱光の養子となり名古屋に来る。文化元年(1804年)、養父の隠居により家督を相続。文化5年(1808年)、江戸に下って藩主徳川斉朝に拝謁し、同年江戸城で将軍徳川家斉に拝謁する。文化14年(1817年)加判の列に加わる。同年従五位下兵庫頭に叙任。文政元年(1818年)加判を免じられ、差控の処分を受ける。 文政2年(1819年)、隠居して家督を嫡男の寧綱に譲った。天保6年(1835年)、出家して兵庫入道と名乗る。又日庵と号し、茶道等、風流に生きた。実弟の裏千家11代玄々斎は、規綱の仲介で尾張藩に出仕し、藩主徳川斉荘の師となった。斉荘は歴代の藩主の中でも特に茶道に熱心で、規綱や玄々斎の影響もあり、それまで有楽流であった尾張家の茶道を裏千家に改めた。 元治元年(1864年)、家督を継いでいた孫の綱倫が急死し、生まれたばかりの綱聡が家督相続することなり、曽祖父としてその後見を勤めた。 明治元年(1868年)、兵庫頭を辞す。明治4年(1871年)1月18日死去、享年80。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡辺規綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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