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渡辺 親綱(わたなべ ちかつな、享保12年(1727年) - 寛政元年8月23日(1789年10月11日))は、紀州藩家臣、渡辺主水家第4代当主。 父は渡辺豊綱。養父は渡辺則綱。子は渡辺載綱、伊達正博。幼名松之助。通称は数馬、主水。 == 略歴 == 享保12年(1727年)紀州藩士渡辺豊綱の子として生まれる。享保15年(1730年)父豊綱死去。松之助(親綱)は幼いため、家督は叔父則綱が相続しその嫡子となる。寛保2年(1742年)養父則綱の死去により家督と知行2000石を相続。寛保3年(1743年)大寄合となる。 寛延2年(1749年)年寄の列に加えられ1000石の加増を受け、江戸で勤務する。同年月番加判となる。寛延3年(1750年)母里藩松平家(松平直員)の挟箱持が、渡辺家の列を通り抜けようとして、馬に挟箱の棒を当てて驚かせ、無礼に怒った渡辺家の馬丁が、脇差で挟箱持を斬殺する事件が起こる。幕府への遠慮で、加判の列を免じられ、国元に帰される。後、再び加判に列する。 寛政元年(1789年)8月23日死去。享年63。家督は次男載綱が相続した。三男正博は、伊達源左衛門正賀の養子となり家老を務め、従五位下但馬守に叙任、3300石に加増を受けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡辺親綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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