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渡邊 知晃(わたなべ ともあき、1986年4月29日 - )は、福島県郡山市出身のフットサル選手。大連元朝足蹴倶楽部所属。日本代表。福島県初のFリーガーである。ポジションはピヴォ。ボレーシュートの名手として知られる〔名古屋がチームの得点源であり3700リツイート男 日本代表FP渡邉知晃の退団を発表 2015年3月12日、ゲキサカ〕。 == 経歴 == 福島県郡山市出身。小学3年時に郡山市立桃見台小学校のサッカー少年団でサッカーをはじめ、小学6年時には福島県代表として全日本少年サッカー大会に出場。郡山市立第五中学校を経て、福島県立郡山高校ではサッカー部に所属し、順天堂大学でも1年次には蹴球部に所属したが、大学2年次に順天堂大学フットサル部GAZILでフットサルをはじめた。 2009年には関東フットサルリーグのBOTSWANA FC MEGUROからステラミーゴいわて花巻に移籍。2009年にミゲル・ロドリゴがフットサル日本代表監督に就任すると、新体制初の活動となったスペイン合宿で日本代表に初招集された。 2011年夏には名古屋オーシャンズに移籍。入団後初の公式戦となったAFCフットサルクラブ選手権2011では3得点して初優勝に貢献。グループステージの浙江ドラゴン(中国)戦、アル・ラーヤンSC(カタール)戦、決勝のシャヒード・マンスーリ(イラン)戦で得点。シャヒード・マンスーリ戦の得点は2-2で迎えた延長での決勝点だった。2014年のAFCフットサルクラブ選手権2014では2度目の優勝〔。2014-15シーズンには森岡薫に次ぐチーム2位の15得点を記録〔。2015年3月には自身のTwitterアカウントで名古屋グランパス対松本山雅FCの応援動画を投稿し、3700リツイートを記録した〔。 日本代表として出場した2014 AFCフットサル選手権では決勝のイラン戦延長戦後半に同点ゴールを演出(公式記録上は相手のオウンゴール)〔同点OG演出のFP渡邉「ちょっとホッとしています」 2014年5月11日、ゲキサカ〕。日本代表はPK戦を制してアジア2連覇を達成した。 2015年4月には府中アスレティックフットボールクラブに移籍した。同2015年4月には森岡薫とともに株式会社Global 9を設立し、森岡が代表取締役社長に、渡邉が取締役に就任。フットサルスクールやカルチャースクールの運営、会員制オンラインサロンの開催、フットサル関連アプリ企画・開発・販売、慈善事業、フットサル関連物販事業などを行っている。入団から3ヶ月後の7月28日には府中を退団し、8月4日付で中国リーグの大連元朝足蹴倶楽部に加入した〔渡邉知晃選手 移籍のお知らせ 府中アスレティックFC 2015年7月28日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡邉知晃」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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