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渡辺 浩弐(わたなべ こうじ、1962年10月4日 - )は、福岡県福岡市出身の作家。中野ブロードウェイにある飲食店K-CAFE店主、ゲーム・映像ソフト制作会社「GTV」代表取締役、早稲田大学大学院非常勤講師も勤めている。 == 概要 == 早稲田大学第一文学部卒。大学在学中に東南アジアを放浪、帰国後は劇団員やミュージシャン、コピーライターなどを経験。 駆け出しライターとして、映画会社の東宝で企画書を執筆していたが、1986年にファミコン名人を主役にした映画『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』の構成を担当したことから、コンピュータゲーム業界に入る〔『ゲームラボ』2008年12月号、三才ブックス。〕。 家庭用ゲーム機草創期である1988年、ビデオを使った月刊のゲーム情報マガジン『GTV(ゲーム・テック・ビデオ)』をCBSソニー出版(現ソニー・マガジンズ)より創刊。当時はビデオマガジンが注目されており、車情報やアイドル情報を扱ったビデオマガジンが書店やコンビニエンスストアで発売されていた時代である。 ゲーム雑誌のビデオマガジンとしては、『ファミリーコンピュータMagazine』誌から『ファミマガVideo』も発刊されていたが、『GTV』は翌1989年まで15号を数え、もっとも成功した部類となった。CBSソニーでの発刊が終了して以降も1992年までに、版元をアスキー、タカラ、パイオニアと替えてGTVブランドのビデオマガジンを単発で刊行した。 渡辺が知名度を上げたのは、1989年にテレビ東京系火曜夕方6時台のゲーム情報番組『大竹まことのただいま!PCランド』に出演してからである。当初はGTV代表の肩書きで、ゲームの解説を行なうのみだったが、やがてバラエティーコーナーにも参加するようになった。中国拳法の特集で中国拳法の達人に肋骨を折られるなど、様々なエピソードを残している。 また『PCランド』初期では黒縁眼鏡にぼさぼさの頭、地味な服装と典型的なオタクの風体だったが、番組中期にスタッフによってイメージチェンジ作戦が行われ、これまでとは打って変わって御洒落なスタイルへと変貌、以後現在に至るまでこのスタイルを通すようになった。これは『マル勝スーパーファミコン』誌に連載した渡辺本人のエッセイによると、番組開始当初より意図して行なったものという。 『週刊ファミ通』(エンターブレイン)に連載した小説『1999年のゲーム・キッズ』で本格的に作家活動を開始。星新一の影響を受けたショートショートSFで、いくつかの作品はテレビドラマ化(『世にも奇妙な物語』など)や映画化された。また、『1999年のゲーム・キッズ』は1995年のドラマ『BLACK OUT』(「原案」クレジット、ノベライズも著述している)と1997年のドラマ『いとしの未来ちゃん』(「資料提供」クレジット)のアイデアソースとして映像化されている。『アンドロメディア』も、1998年に映画化された。 以後、小説や各種デジタルメディア評論で、雑誌執筆やテレビ出演を数多くこなす。また、この頃に桃井はるこの才能を見いだし、「バーチャリアン子」と名づけ、メディアの世界に引き込んだりもした。 現在は執筆活動のみならず、GTV代表としてあらゆるデジタルメディアのクリエイターとして活動している。その他、最近ではニワンゴ協力のもと、メールを返信することで続きが送信されてくる電子小説を執筆し、展開している。講談社BOXのKOBO CAFEの雇われ店長をしていた。 2010年頃からは、ニコニコ生放送の公式放送『ゲームのじかん』にレギュラー出演している。同番組内ではよく衝撃発言が飛び出す。「家出以来実家に帰っていない」「親の顔をほとんど忘れました」、「高橋名人が『夜の16連打』『俺のジョイスティックが…』とか言ってましたよ」など。 2012年11月9日、星海社のインターネット小説サイト「最前線」にて新作「2013年のゲーム・キッズ〔2013年のゲーム・キッズ - 最前線 - フィクション・コミック・エンターテイメント〕」を発表、その第1回「謎と旅する女」がHTML5を駆使した仕掛けに注目が集まったほか、渡辺や本シリーズを知らない層にもTwitter等を通じて「恐怖のブログ」として大反響を呼んだ〔キレキレの渡辺浩弐が帰ってきた! 「2013年のゲーム・キッズ」がいきなり問題作すぎる - 日々是遊戯(2012年11月07日 14時07分 更新)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡辺浩弐」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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