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『温知政要』(おんちせいよう)は、江戸時代の大名尾張藩第七代藩主徳川宗春によって記された著述。尾張藩儒官深田慎斎宗信が添削している〔『尾藩世記』七〕。 宗春は、享保15年(1730年)11月28日、尾張七代藩主となる。すぐに、この政治宣言の著述を表しはじめ、翌享保16年(1731年)3月に脱稿〔『温知政要』序文〕。御手刷版は、享保17年(1732年)に刷られ、主だった尾張藩士に配られている〔『尾藩世記』七〕。書写版が出まわり、流行仕掛けたときに、京の出版所に依頼してあった普及版は、幕府京都所司代牧野英成の京都町奉行所〔東町奉行:長田元隣 西町奉行:本多忠英〕によって、出版差止めとなる〔『尾藩世記』七〕。宗春隠居謹慎後は、尾張藩内の御手刷版も回収処分されたために、現存数は少ないが、幾つかの御手刷版と写本が残されている。 == 影響 == 『温知政要』という言葉は『論語』の「温故知新」および『貞観政要』の影響が認められる。また第六条の適材適所の思想には、当時流行した荻生徂徠の思想の影響が見られる〔『新修名古屋市史』第三巻 p.242〕。本文中に『大学』の明徳に関して記され、『 孟子(梁恵王上』の「仁者に敵なし」、『論語』の「用を節して人を愛す」等が引用されている。 京の儒学者中村平吾(中村三近子)は、この書を激賞し注釈書『温知政要輔翼』を著している〔尾張藩の儒官で、『温知政要』にも携わった深田慎斎が校訂している。〕〔『名古屋叢書』第一巻所収〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「温知政要」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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