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天球儀(てんきゅうぎ、Armillary sphere)、またはアーミラリ天球儀、または渾天儀とは、天球を象った模型である。 == 歴史 == 記録に残っている歴史上最も古い天球儀は、紀元前255年に古代ギリシアのエラトステネスが作ったものに遡る。現存しているものの中では、紀元150年前後にローマ帝国で彫刻の一部分として製作されたファルネーゼ・アトラスが最も古いものである。ファルネーゼ・アトラスはナポリの国立考古学博物館で展示されている。また中国でも紀元前1世紀の漢の時代から独自に発展してきた。特に2世紀の天文学者である張衡は、世界で初めて天球儀に動力を導入した人物として知られている。アーミラリ天球儀という名前は、ラテン語で円またはブレスレットを意味する ''armilla'' という語に由来する。これは、天球儀が極で接続された金属の輪で作られ、輪によって赤道、黄道、子午線、緯線などを表現しているからである。通常、中心に球が置かれるが、これは初期は地球、その後は太陽を表している。天球儀は、地球の周りの星の動きを説明するのに使われている。17世紀にヨーロッパで望遠鏡が発明されるまでは天文学者にとって、天球上の星の配置を決定する最も重要な道具だった。 最も単純な構造のものは、1つのリングが赤道上の円盤と固定された形をしていて、これは最も古い天文学の道具の1つだった。もう少し発達すると、子午線を通る円盤に固定された別のリングと交差するようになる。エラトステネスは黄道傾斜を計測するのに天球儀を使っていたと考えられている。またヒッパルコスは4つのリングからなる天球儀を使っていたと考えられている。プトレマイオスは彼の天球儀のことを著書 ''Syntaxis'' の中に記している。 天球儀はギリシャで発達し、3世紀には既に教育用の道具として使われていた。さらに重要な用途として、観測の補助としても使われた。 ムスリムは8世紀頃にギリシャの天球儀をさらに改良し、初めてこれについての論文を書いた。これはイブラヒム・アル・ファザリが書いたもので、''Dhat al-Halaq''(リングのついた道具)というタイトルだった。アッバース・イブン・フィルナスは9世紀に、天球儀のリングを持ったまた別の道具を製作してカリフであるムハンマド1世に献上したと考えられている。天球儀とアストロラーベの両方の機能を持った道具は、中世のイスラム圏の天文学者や発明家によって作られた。 さらなる改良はティコ・ブラーエによってなされ、そのことは著書 ''Astronomiae Instauratae Mechanica'' に記されている。天球儀はルネサンス期にヨーロッパに広く普及した。 ルネサンス期の科学者の肖像では、しばしば天球儀を片手に持った姿が描かれている。これは知恵と知識の象徴だった。 天球儀は当時の機械装置の中で最も複雑なものになった。これは多くの技術の改良をもたらし、またその後の多くの機械装置のデザインのモデルとなった。 天球儀はその後も教育用の便利な道具として生き続けた。中心に地球があるものはプトレマイオス型、中心に太陽があるものはコペルニクス型と呼ばれる。 天球儀は現在のポルトガルの国旗にも描かれ、マヌエル1世の治世下には国家のシンボルだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天球儀」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Armillary sphere 」があります。 スポンサード リンク
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