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湖城流(こじょうりゅう、方言でこぐすくりゅう)とは、沖縄本島の那覇久米村の士族・湖城家に伝わってきた門外不出の空手流派である。打撃技による連続攻撃のあと、取手(トゥイティ、関節技・投げ技)で相手を押さえ込むなどの技法を、その特徴としている。 == 歴史 == 湖城流によれば、流祖は唐名・蔡肇功(さいちょうこう)、湖城親方とされる(二代蔡昌偉を流祖とする説もある)。蔡氏湖城家は、唐名・蔡瀚、屋良親雲上を元祖とする蔡氏具志家の支流(分家)であり、蔡肇功はその四世である。遠戚には、有名な蔡温がいる。湖城親方は、1665年頃、中国において中国兵法を学び、康熙帝(1655年 - 1722年)より兵法皆伝証を授与され帰国した。帰国後、湖城親方は兵法に含まれる武術・組打法を一族に伝授したとされる。 その後、湖城流は、初代湖城親雲上、二代蔡昌偉、三代湖城以正(1832年 - 1891年)、三代湖城大禎(1837年 - 1917年)、四代湖城嘉宝(1849年 - 1925年)、五代湖城再鏡(1873年 - 1941年)、六代湖城嘉富(1909年 - 1996年)、七代湖城繁(1934年-1970年代)、八代湖城立美(1951年- )と受け継がれてきた。三代・以正は、中国の武官・イワァーに師事し、その師範代を務めたとされる。また、以正の従兄の大禎は、ワイシンザンに師事した。 湖城流の命名者は湖城嘉富で当初(小林流・辰山流)といゆ名称で、その後(辰山流)さらに(湖城流)となった。湖城嘉富は一時、知花朝信に師事した関係でそのような名称になった経緯がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「湖城流」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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