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湛如(たんにょ、享保元年6月28日(1716年8月15日) - 寛保元年6月8日(1741年7月20日))は、江戸時代中期の浄土真宗の僧、西本願寺16世宗主。諱は光啓。院号は信曉院。大僧正。 == 人物 == 寂如の10男として生まれる。兄弟の多くが早逝し、誕生時には既に寂如が養子に迎えた住如が新門跡に就いていたため、後に住如の養子となる。妻(裏方)は閑院宮直仁の長女始宮(治子女王)。前宗主の死去にともない24歳で継職したが、病気のためわずか3年で急逝。子は無かった。「裏方」(宗主の配偶者の役職)の治子も湛如の死後剃髪し出家。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「湛如」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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