|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 湯 : [ゆ] 【名詞】 1. hot water ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 宗 : [そう, しゅう] 【名詞】 1. sect
湯原 宗綱(ゆはら むねつな、永正15年(1518年?) - 天文9年9月26日(1540年10月25日))は、戦国時代の武将。戦国大名・尼子氏家臣。出雲国の国人領主、湯原氏の当主。父は湯原信綱、弟に湯原春綱他。通称、弥次郎。尼子経久と尼子晴久の2代に仕えた。伯耆国時山城主。 == 生涯 == 大永7年(1527年)に父の湯原信綱から伯耆国時山城を譲り受け、その城主となった。天文9年(1540年)の尼子詮久(後の晴久)による吉田郡山城の戦いに出陣した。宗綱はこの戦いで奮戦したが、池ノ内の戦いで、小早川興景や大内氏援軍・杉元相、粟屋元良らに挟撃されて進退窮まり、自害した。 現在でも、安芸高田市吉田町池内に湯原宗綱の腹切岩が残っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「湯原宗綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|