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湯川 宏(ゆかわ ひろし、1918年3月9日 - 1986年9月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(5 期)。 == 経歴 == 1918年、和歌山県海南市生まれ。和歌山県立和歌山中学校を経て第三高等学校文科甲類卒業。東京帝国大学法学部在学中、高等文官試験行政科試験に合格。大学卒業後、厚生省に入省した。1941年、海軍短期現役制度により海軍主計中尉に任官され南方各地を転戦。1946年に復員した。 1949年より大阪府に勤務し、1951年にガリオア資金留学制度でシカゴ大学に留学。1960年に大阪府企業局長、1967年に大阪府副知事となり、1970年には日本万国博覧会準備事務局長を務める。1971年に知事の左藤義詮が落選した際には進退をともにするとして辞表を提出した〔読売新聞、1971年5月2日付朝刊、P.2〕。1975年の大阪府知事選に自由民主党の要請を受けて出馬した〔読売新聞、1975年2月22日付朝刊、P.1〕が、黒田了一に敗れて落選した。 菅野和太郎の死去に伴い〔読売新聞、1976年11月29日付朝刊、P.13〕、1976年の第34回衆議院議員総選挙に大阪1区から自民党公認で出馬し当選。以後、中曽根派に所属して連続5期務める。1981年に鈴木改造内閣で経済企画政務次官に就任。また、1983年には第2次中曽根内閣で厚生政務次官を務めている。1986年9月26日、衆議院議員在任中に慶応病院において心不全のため逝去〔読売新聞、1986年9月26日付夕刊、P.1〕。これは最後の衆議院選挙から3ヶ月以内だったため、大矢卓史が繰り上げ当選となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「湯川宏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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