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ISILによる日本人拘束事件(アイシルによる にほんじんこうそくじけん)とは、シリアのアレッポで、2名の日本人が過激派組織「ISIL(アイシル)」とみられる武装集団に拘束された事件。身代金およびISILに関係のある死刑囚の釈放を要求する犯行声明が出された後、2名とも殺害された。これまで欧米のジャーナリストや援助団体の職員などが人質になった事件でアメリカ人、イギリス人以外の人質がISILに殺害されたケースはなかった。 == ISILによる動画の公開以前 == 湯川遥菜拉致事件 *2013年12月 - 元ミリタリーショップ経営者の湯川遥菜(ゆかわ はるな、1972年生・男性)が、千葉市の実家を訪れ家族に対し、「生きることに限界を覚えた」「人生のラストチャンス」などと話す。湯川はミリタリーショップの倒産や、妻の病死などを経験したあと、実家とは長年連絡を絶っていた〔。 *2014年1月 - 湯川が青海にピーエムシー株式会社(事業内容国際民間軍事業、国外警護、紛争地域等での援護)を設立し、最高経営責任者に就任。日本船を護衛することが夢だったという〔。 *2月 - 湯川がインド、レバノンに渡航。 *4月 - 湯川が単身で初めてシリアに訪れ、北部の自由シリア軍拠点で拘束されていたところ、自由シリア軍に通訳を依頼されたフリージャーナリスト後藤健二の仲介で助けられ、後藤と知り合いになる。湯川は穏やかで親しみやすい性格だったため、英語は流暢でなかったものの、反政府勢力の兵士たちに受け入れられ、武装勢力の案内でアレッポを訪れたのち帰国したが、帰国後もメールやフェイスブックを通じて武装勢力のメンバーと交流を続けて、「次はいつ来るのか。」などと再度の訪問を誘われた。また湯川は後藤とも、帰国後も会食に行くなどして、交流が続いた。 *6月 - 湯川が、後藤に同行を依頼し、助手と称して、後藤とともにイラクに入国〔。 *7月27日 - 湯川が、帰国した後藤と別れ、後藤の反対を無視してシリア行きを決意し、イスタンブルから空路で単身ガズィアンテプに入る〔。 *7月28日 - 湯川が、シリアを援助したいとしてガズィアンテプから陸路キリス経由でシリアに入国。その後所持金を奪われたと話してイスラム戦線に保護され、以降イスラム戦線や自由シリア軍の混成部隊に同行〔。 *8月14日 - 湯川が「現場からリポートを書きたい。」として、反政府勢力とISILの戦闘に同行し、その際ISILにアレッポで拘束される〔。 *8月16日 - 在シリア大使館(内戦で隣国ヨルダンに避難し業務中)にシリア北部アレッポで日本人が拘束されたとの一報が入り、ただちに日本政府に伝達された。在シリア日本大使館は、16日夕(日本時間同日夜)に現地対策本部を設置し、17日に日本人とみられる人物が拘束された可能性があることを明らかにした〔シリアで邦人拘束か 「イスラム国」の可能性 日本経済新聞 2014年8月18日〕(現地対策本部の本部長は馬越正之駐シリア臨時代理大使))。 *8月17日までにISILのインターネット広報ツイッターアカウントで、拘束された日本人とみられる男性の映像が公開された。地面の上に押さえつけられ、男らが「どこから来たのか」「仕事は」などと英語で尋問。男性は「日本人のハルナ・ユカワ」と名乗り、「自分は兵士ではない。カメラマンだ」「医師だ」などと説明したが、「なぜ武器を持っているのか」と糾弾される。その後、同ツイッターアカウントで、カメラマンではなく民間軍事会社「PMC JAPAN」CEO、最高経営責任者であると同社のHPサイトURLと共に発表される〔民間軍事会社「PMC JAPAN」HP 〕。また所持していた田母神俊雄と並んでの写真などが公開される。なお、「PMC JAPAN」の業務内容に、様々な軍事的活動と「治安不安定危険地域での情報収集活動」が、記載されている〔民間軍事会社「PMC JAPAN」業務内容ページ 〕。これら民間軍事会社を経営している旨の情報は、Twitterより発信された。8月末には拉致された日本人救出に中田考が動いたと報道がある。ただし、中田は公安にマークされているという情報も報道されている。 *9月 - ジャーナリストの常岡浩介がISIL司令官から、湯川について「見せしめの死刑にはしない。」「身代金は取らない。」と聞く。 *12月中下旬 - この頃までイスラム戦線が、湯川の解放交渉をISILに対し、2,3回行ったが、ISILが国家との交渉に拘ったため頓挫。後を継ぐ形で中東の国家が交渉を行っていたが、その後交渉打ち切りとなった〔 〕。 後藤健二拉致事件 *2014年9月 - 後藤健二のシリア渡航計画を知った外務省が10月までの間に3回中止を求めた(電話2回、面接1回)。 *10月8日 - 後藤が東京都内のスタジオからTBS「ひるおび!」に生出演。 *10月22日 - 後藤がトルコに入国し、ガズィアンテプのホテルに宿泊。 *10月24日 - 後藤がキリスのシリア反政府武装勢力が管理する国境検問所を通りシリアに入国し、シリア人ガイドと合流。 *10月25日 - 後藤が、ガイドとともにアレッポ郊外のマレアに入り、ガイドの反対を押し切り、湯川を助けるため〔 日本人人質事件 トルコからシリアへは簡単に入れる現状 FNN 2015年1月21日〕別のガイドとともにISILの支配地域にあるラッカへ向い消息を絶つ。 *10月29日 - 後藤の帰国予定日。 *10月末 - 東京都に住む後藤の妻が、外務省に相談。 *11月 - 後藤の妻の携帯電話に、後藤を拘束している旨のメールが、ISIL関係者から届く。 *12月初旬 - 後藤の妻がメールに気づいて開封し、外務省に相談する〔。以後、1月までに約10通のメールが後藤の妻に送信され、当初約10億円、のちに約20億円の身代金の要求がなされた。事件発覚当初、外務省は後藤の妻とシリア人現地ガイドに口止めを行っていた。この事実は翌年の1月20日まで公にされることはなかった。 *1月17日 - 安倍首相がカイロでの経済会合にて「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します〔平成27年1月17日 日エジプト経済合同委員会合における安倍内閣総理大臣政策スピーチ 〕。」と発言。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ISILによる日本人拘束事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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