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湯浅 年子(ゆあさ としこ、1909年12月11日 - 1980年2月1日)は日本の物理学者である。パリのコレージュ・ド・フランス原子核化学研究所、CNRS(フランス国立中央化学研究所)で研究した。日本国外で活動した初の日本人女性物理学者といわれる〔お茶の水大学理学部 湯浅年子 〕。 == 経歴 == === 幼少時代 === 東京都上野に生まれる。7人兄弟の6番目で〔山崎(2002) pp.13-14〕、生家には両親や兄弟の他に、乳母や数名の女中、書生がおり、多人数で暮らしていた〔湯浅(1974) p.304〕。年子の父は福井県出身で、東京大学工学部機械工学科を卒業し、農商務省の特許局に勤務していた湯浅藤市郎で、退職後に自宅で自動製糸機の発明に没頭し、世界で初めて「完全自動製糸機」を完成させたことで知られる。また藤市郎は1825年に東京帝国大学時代に日本で最も古い「内燃機関」に関する論文である『''Petroleum Engine''』も著している。 4歳の時、生家は全焼し、一家は牛込加賀町へ引っ越した。ここでは女中を減らし、生活も質素になった〔湯浅(1974) pp.308-309〕。年子は生後1年ごろから冬になると肺炎を患い〔湯浅(1974) p.298〕、その後も体が弱かったので、外に出ることはあまり許されていなかった。そのため幼いころは、床の中で考え事をして過ごすことが多かった〔山崎(2002) p.9〕。 1916年、市ヶ谷尋常小学校に入学。しかし、3年の時、小学校は火事で全焼した。さらにこの小学校に通うには線路を渡らなければならず、母はその危険性を心配していたこともあり、年子は愛日尋常小学校へと転校した〔湯浅(1974) p.316〕。小学校時代は、氷から湯気が出ているのを見て、固体が水にならずに直接蒸気になるのを不思議がったり、摂氏の単位が分からなかった母親のために自分で考えた摂氏と華氏の対応表を作ったりした。一方、習いごとは身につかず、長唄を教わっていたが、稽古に入るとすぐに眠りに入ってしまうほどだった。母は他の姉妹には茶の湯や裁縫などを教えていたが、年子に対しては諦めていたためか例外であった〔湯浅(1974) pp.315-316〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「湯浅年子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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