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湯浅 譲二(ゆあさ じょうじ、1929年8月12日 - )は、日本の現代音楽の作曲家。 ==経歴と作品概論== 福島県郡山市にて開業医の次男として生まれる。芸術愛好家だった父の影響で幼時より音楽に親しむ。福島県立安積中学校を卒業したのち上京し、慶應義塾大学医学部に進む。当時は外科医志望であり作曲は趣味として行うつもりだったが東京で日本の現代音楽の状況を知るうちに「このぐらいなら自分でもできる」と思うようになり1951年、「10年間は面倒みてやるから」との父親の合意のもとに医学部教養課程を中退して作曲の道に進む。若い頃、詩人・瀧口修造の下で組織された芸術家グループ・実験工房で武満徹らと共に活動し電子音楽や自作を含む現代音楽の演奏会の製作にかかわった。一方で古典的な作曲理論を身につけておく必要も痛感し、大学教養課程での音楽の担当であった評論家・村田武雄の紹介で中田一次に短期間師事している。 アメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校でブライアン・ファーニホゥ、ロジャー・レイノルズらと共に作曲の教職に就いていた。 湯浅が自らの音楽を語る言葉として、次の文句が良く引き合いに出される。「私にとって音楽とは、音響エネルギー体の空間的・時間的推移である」。これはつまり音楽をその音響現象の中に見られるエネルギーの力学的運動として捉えることにより、その音楽の語り口(ナラティヴィティ)を見出そうというものである。このことによって湯浅はジャンルや様式、地域性などを超えたほとんどの音楽がこの言葉によって説明できるとしている。 もう一つ重要な言葉として、「コスモロジー」という言葉も湯浅は多用している。これは個々の人間が持つ個人性、その人の歩んできた歴史背景、学習・経験してきた事柄、さらに地域性、民族性、時代性などを包括する言葉である。これによって個々の作曲家には個性が反映され、作曲家独自のメッセージが生まれると湯浅は解説している。 UPICシステムを用いて制作された音楽作品は宣伝の割には意外なほどにUPIC単体の為に制作されたものに傑作が少ないが、そのような不毛の中で「UPICによる始原への眼差し第一番」はその数少ない中の傑作であるばかりか湯浅音楽の最高峰に位置付けられている。 カリフォルニア大学サンディエゴ校教授、日本大学藝術学部客員教授、研究所教授などを経て、現在カリフォルニア大学サンディエゴ校名誉教授、国際現代音楽協会(ISCM)名誉会員。慶應義塾大学アート・センター訪問所員。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「湯浅譲二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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