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満州善後条約(満洲善後条約、まんしゅうぜんごじょうやく)とは、1905年(明治38年)12月22日に北京において日本・清国両国間で締結された条約。正式名称は「満洲ニ關スル条約」〔JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020693900、御署名原本・明治三十九年・条約一月二十九日・日清間満洲ニ関スル条約(国立公文書館)〕。中国では「中日会議東三省事宜正約」と呼ばれる〔侵略の道具から友好の種へ 在留日本人送還60周年(1) 「人民網日本語版」2006年6月22日〕。 日本側特派全権大使小村寿太郎(外務大臣)及び特派全権公使内田康哉と清国側欽差全権大臣慶親王及び・袁世凱の間で調印され、全3条の本文と12ヶ条の付属協定、16項目の付属取決から構成された。ポーツマス条約(1905年(明治38年)9月5日)によってロシアから日本に譲渡された満州利権の移動を清国が了承した。 日露戦争の結果、日本は南満州鉄道や関東州の租借権などの満洲利権を獲得したが、満洲は既に半植民地状態とはいえ、あくまでも清の国家主権に属する地域であったことから、清国の了承なしには権利譲渡は出来なかった。そのため、条約締結後、第1次桂内閣は外務大臣の小村らを派遣して清国にかつてロシアが獲得した権益に加えて新たな要求を付け加えてその承認を要求したのである。 新しい要求には南満洲鉄道の吉林までの延伸と同鉄道を守備するための日本軍の常駐権と沿線鉱山の採掘権保障、同鉄道に併行する鉄道建設の禁止、安奉鉄道の使用権継続と両国共同事業化、営口・安東・奉天における日本人居留地の設置の許可、鴨緑江右岸の森林伐採合弁権獲得などが認められ、以後の満洲経営の基礎となった。 これらの条項は辛亥革命以後も北洋政府・奉天軍閥などに継承されたが、張作霖爆殺事件後に奉天軍閥を継いだ張学良が同条約を否認して併行鉄道の建設を推進し、満州事変の遠因となった。 ==脚注== 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「満州善後条約」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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