翻訳と辞書
Words near each other
・ 源仁
・ 源仁斎駅
・ 源仕
・ 源以光
・ 源仲光
・ 源仲宗
・ 源仲家
・ 源仲政
・ 源仲正
・ 源仲章
源仲綱
・ 源仲資
・ 源仲頼
・ 源伊陟
・ 源伯民
・ 源伴存
・ 源俊
・ 源俊実
・ 源俊恵
・ 源俊房


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

源仲綱 : ミニ英和和英辞書
源仲綱[みなもと の なかつな]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
: [なか]
 【名詞】 1. relation 2. relationship 

源仲綱 : ウィキペディア日本語版
源仲綱[みなもと の なかつな]

源 仲綱(みなもと の なかつな)は、平安時代末期の武将歌人源頼政の嫡男。母は源斉頼女。官位は正五位下隠岐伊豆守。
== 生涯 ==

=== 京武者として ===
源頼光に始まる摂津源氏の一門であり、代々大内守護内裏の警護)の任にあったと云われる。久寿2年(1155年)、守仁親王(後の二条天皇)が立太子されると蔵人に補され、東宮に仕えた。平治元年(1159年)、父頼政は平治の乱平清盛に味方し、その結果、源義朝河内源氏源頼信の系統)は没落するが、摂津源氏は平氏政権下の中央に留まることになった。
乱の後に義朝の三男であった源頼朝伊豆国蛭ヶ小島配流となったが、この時期に仲綱は伊豆守となっており、一説には流罪の身となった頼朝を伊豆へ運んだのは、頼政の配下の摂津渡辺氏だともされる。
平氏政権下における仲綱の動向としては、仁安3年(1168年)に伊豆守であった仲綱が国内の不作によって朝廷に献じる五節舞の舞姫の費用を弁じることができない旨の請文が現存しており、頼政・仲綱父子の動向を知る数少ない史料となっている。そのほか大内守護の任にある仲綱は頼政とともに天皇や法皇に仕え諸行事に供奉しており、また父祖同様歌人としての活動が知られ、九条兼実ら貴顕の主催する歌会・歌合に出席し、その詠歌が『千載和歌集』に6首入集している。
父の頼政は家門の誉まれとして従三位公卿)に昇ることに望みをつなぎ続け、70歳を過ぎても家督を仲綱に譲らずにいた。その願いが叶い治承2年(1178年)12月、清盛の推挙により頼政は従三位に叙され、翌治承3年(1179年)11月、出家した頼政より家督を譲られる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「源仲綱」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.