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源内焼(げんないやき)は、江戸時代中期に平賀源内の指導によって讃岐国の志度(現在の香川県さぬき市志度)、及びその周辺で製作された三彩の陶磁器の一群。実用性よりも鑑賞本位に制作された。 == 概要 == 『源内焼』展図録では、源内焼の条件・特徴として以下の9点を挙げている(一部追記)。 #平賀源内の指導を受けて始まった焼物。 #緑や褐色などの単彩や、三彩などを象徴的に施した軟式施釉陶器。 #人物の表情や細かな風景描写などを、色釉で細かに描かず、数種の釉色で塗り分けている。 #原則として器の基本形を型を用いて成形しており、同型の作品が多く見られる。 #型の模様は、非常にシャープな浮き彫りである。 #幅広い内容の模様と器形。 #口縁部を強調し、六稜、八稜、輪花などの変化があると共に、これに伴う文様帯も幅広く取る。 #縁の文様は、唐草や変形唐草、篭目などこれまで日本の焼物には見られない独自の意匠が整然と施されている。 #見込みの主題に、七賢人、樹下仙人、鍾馗、詩文、寒山寺風景、西湖山水など中国古典を典拠とするものが多く認められる反面、平住専庵著・橘守国画『唐土訓蒙図彙』の「山水輿地全図」を元にした万国地図や行基図風の日本地図、源内が所持していた西洋の動物図譜を元にした作品など、東洋とも西洋とも分けられない独自の意匠も見られる。 源内の指導がどのようなものかは詳細は不明である。金森得水著『本朝陶器攷證』巻一に、宝暦5年(1755年)長崎に遊学した源内は交趾焼の技術を学んだ、とあるのが早い記録である。その後源内の書簡などから、故郷の讃岐国志度の産業振興のため、新しい三彩釉の軟質陶器の製作を指導した、と推測される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源内焼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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