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源 博雅(みなもと の ひろまさ、延喜18年(918年) - 天元3年9月28日(980年11月8日))は、平安時代中期の公卿・雅楽家。醍醐天皇の孫。兵部卿・克明親王の長男。官位は従三位・皇后宮権大夫。博雅三位(はくがのさんみ)、長秋卿と呼ばれる。管弦の名手。 == 経歴 == 臣籍降下し、源姓を賜与される。承平4年(934年)に従四位下に叙せられる。天暦元年(947年)中務大輔、天徳3年(959年)右兵衛督、康保2年(965年)に左中将、天延2年(974年)に従三位・皇太后宮権大夫に叙任。 雅楽に優れ、楽道の伝承は郢曲を敦実親王に、箏を醍醐天皇に、琵琶を源脩に、笛は大石峰吉、篳篥は峰吉の子・富門と良峰行正に学んだ。大篳篥を得意とするが、舞や歌は好まなかった。 天暦5年(951年)内宴で和琴を奏する。康保3年(966年)村上天皇の勅で『新撰楽譜(長秋卿竹譜)』(別名『博雅笛譜』)を撰する。現在でも演奏される『長慶子』の作曲者。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源博雅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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