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四辻 善成(よつつじ よしなり)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての公家・学者・歌人。従一位左大臣。順徳天皇の曽孫。尊雅王の子。 関白・二条良基の猶子となり、その庇護を受けた。四辻宮家に生まれる。姉に石清水社祀官・紀通清の妻となった智泉聖通がおり、その娘・良子が足利義満・満詮の生母となる。つまり足利義満の母方の大叔父である。 == 生涯 == 康永2年/興国4年(1343年)、従四位下に叙せられ左少将に任ぜられる。文和5年/正平11年(1356年)1月、源姓(順徳源氏)を賜与され臣籍に下り、直ちに従三位に叙せられる。延文3年/正平13年(1358年)1月、正三位に昇叙。延文4年/正平14年(1359年)8月、左中将に任ぜられる。康安元年/正平16年(1361年)、従二位に叙せられ播磨権守に任ぜられる。貞治2年/正平18年(1363年)4月、正二位に昇叙。貞治6年/正平22年(1367年)6月、参議を経ず権中納言に任ぜられる。建徳元年(1370年)権大納言に昇進する。応安4年/建徳2年(1371年)、権大納言を辞した。弘和元年(1381年)12月、従一位に叙された。嘉慶元年/元中4年(1387年)12月、准大臣となる。応永元年(1394年)6月5日、内大臣に任ぜられるが、同年12月25日には内大臣を辞した〔なお、善成が内大臣を辞した日に足利義満は太政大臣に任ぜられている。〕。将軍足利義満・管領斯波義将の後援があり、応永2年(1395年)7月20日に左大臣に昇るが、同年8月29日に左大臣を辞して出家した。なお、出家にあたって親王宣下を望んだという〔『荒暦』〕が、斯波義将の反対で果たせなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「四辻善成」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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