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源 国信(みなもと の くにざね)は、平安時代後期の公卿、勅撰歌人。村上源氏で、右大臣・源顕房の四男または三男。 == 経歴 == 従五位下への叙爵後、承徳3年(1079年)に信濃権守に任ぜられる。永保元年(1081年)左兵衛佐、永保3年(1083年)左近衛少将と武官を歴任。同年従五位上に叙せられている。美作権介を経て、応徳3年(1086年)正五位下に叙せられた。 応徳3年(1086年)の堀河天皇即位に際して蔵人に任ぜられたのを皮切りに、寛治7年(1093年)篤子内親王の立后に際して中宮権亮、翌寛治8年(1094年)には蔵人頭に任ぜられる等、堀河天皇に近臣として仕えた〔『今鏡』296段〕。その後も堀河朝において要職を占め、承徳2年(1098年)参議に任ぜられて公卿に列し、康和4年(1102年)権中納言、康和5年(1103年)正二位に至った。。 堀河院の歌壇で活躍し、康和2年(1100年)「源宰相中将家和歌合」を主催、また『堀河百首』を編纂した。金葉和歌集初出、以後37首が勅撰和歌集に採られる。 *百人秀歌(小倉百人一首の原撰本) *春日野の 下萌えわたる 草の上に つれなく見ゆる 春の淡雪 天永元年(1110年)11月28日に鳥羽に参った折に俄かに飲水病を発する。日を追って重くなり、翌天永2年(1111年)正月9日の寅の刻以前に出家〔『中右記』天永2年正月10日条〕。ついで薨去。享年43。また、源師時とは兄弟のような関係であったという〔『長秋記』天永2年正月10日条〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源国信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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