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源 宗于(みなもと の むねゆき、生年不詳 - 天慶2年11月23日〔一説では22日(『朝日日本歴史人物事典』)。〕(940年1月5日))は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。光孝天皇の孫。式部卿・是忠親王の子。官位は正四位下・右京大夫。三十六歌仙の一人。 == 経歴 == 寛平6年(894年)源朝臣姓を賜与されて臣籍降下し、従四位下に直叙される。寛平9年(897年)従四位上。 延喜5年(905年)兵部大輔、延喜8年(908年)右馬頭と醍醐朝前半は武官を歴任するが、延喜12年(912年)三河権守を兼ねると、相模守・信濃権守・伊勢権守と醍醐朝後半から朱雀朝初頭にかけて地方官を歴任する。 承平3年(933年)右京大夫に任ぜられて京官に復し、天慶2年(939年)正四位下に至る。天慶2年(940年)11月22日卒去。最終官位は正四位下行右京大夫。 寛平后宮歌合や是貞親王家歌合などの歌合に参加。紀貫之との贈答歌や伊勢に贈った歌〔『伊勢集』〕などが伝わっており交流がうかがわれる。『古今和歌集』(6首)以下の勅撰和歌集に15首入集〔『勅撰作者部類』〕。家集に『宗于集』がある。『大和物語』に右京大夫として登場する。 *小倉百人一首 *28番 山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も 枯れぬと思へば(『古今和歌集』冬315) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源宗于」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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