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源実国 : ミニ英和和英辞書
源実国[みなもと の さねくに]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 
: [くに]
 【名詞】 1. country 

源実国 : ウィキペディア日本語版
源実国[みなもと の さねくに]
源 実国(みなもと の さねくに、寛仁4年(1020年) - 没年不明)は、平安時代後期の武士官人美濃源頼国の四男。母は播磨藤原信理女。兄弟に頼弘頼資頼実頼綱国房師光六条斎院宣旨らがあり、子に行実国正行延がある。室は紀伊平教盛女。従四位上蔵人検非違使左衛門尉春宮大進備前守、土佐守、播磨守、常陸介(『尊卑分脈』)。
永承3年(1048年)頃、蔵人であった(『春記』同年3月20日条)。和歌も嗜み、翌4年(1049年)11月に催された『内裏歌合』に出席したりもしている〔この時の官職は蔵人左衛門少尉であった。〕。また累代の本拠地である多田庄を継承せず、摂津国内(現在の兵庫県尼崎市付近)に新たに生島庄を開発したことが知られる。官歴は詳らかでないが、その後は受領となって四位に至り、最終官職が常陸介であったことや承暦4年(1080年)に61歳で出家したことなどが確認されている(『水左記』同年7月28日条〔同条に「前常陸介実国朝臣出家云々、年六十一」とある。〕)。
子孫は代々摂関家に仕える京武者・中下級貴族の家系として存続したほか僧侶も輩出しており、鎌倉時代初期に朝廷幕府の交渉にあたった国基とその子観基(寛基)や天台座主となった慈賢などが知られる。また本拠地生島庄は嫡子行実から顕行雅行へと伝わり、その後も実国の子孫が代々相伝している。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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