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源師季(みなもと の もろすえ)は鎌倉時代初期の公卿。正三位侍従周防権守。右大臣源雅定の養子となった源定房の子である右少将源定忠の子。母は大納言藤原定能の娘。子には源師成、源師行、源季方。『尊卑分脈』には「赤松流」と注釈があり、その子孫として赤松家範・則村へと系譜が引かれている〔『尊卑分脈』第十四巻 (吉川弘文館 故実叢書 1904, 十四巻-四九頁、近代デジタルライブラリー )〕ことから、播磨守護大名となった赤松一族の祖とする説がある。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 建久9年(1198年)1月6日、叙爵〔八条院臨時内給。〕。正治元年(1199年)12月9日、侍従に任ぜられる。建仁3年(1203年)4月25日、近江守に任ぜられるが、同年10月24日には近江守を止める。同日、従五位上に昇叙。元久2年(1205年)1月20日、右少将に任ぜられるが同年10月に解任される。承元3年(1209年)4月14日、右少将に還任。建暦元年(1211年)1月14日、備中権介を兼ねる。建暦2年(1212年)4月9日、正五位下に昇叙。建保2年(1214年)1月5日、従四位下に昇叙。建保5年(1217年)1月28日、左少将に転任。建保6年(1218年)1月13日、播磨介を兼ねる。承久元年(1219年)1月5日、従四位上に昇叙〔宣陽門院御給。〕。同月22日、左中将に転任。承久3年(1221年)1月13日、正四位下に昇叙。嘉禄元年(1225年)1月23日、美作介を兼ねる。 貞永元年(1232年)1月30日、従三位に叙せられる。嘉禎2年(1236年)2月30日、侍従に任ぜられる。暦仁元年(1238年)11月23日、正三位に昇叙。仁治元年(1240年)1月22日、周防権守を兼ねる。寛元元年(1243年)、出家または薨去か〔寛元2年(1244年)以降、『公卿補任』に師季の名が見えない。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源師季」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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