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源師頼 : ミニ英和和英辞書
源師頼[みなもと の もろより]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
: [し]
 【名詞】 1. (1) teacher 2. master 3. one's mentor 4. (2) the Reverend

源師頼 : ウィキペディア日本語版
源師頼[みなもと の もろより]

源 師頼(みなもと の もろより、治暦4年(1068年) - 保延5年12月4日1139年12月26日))は、平安時代後期の公卿歌人村上源氏左大臣源俊房の嫡男。修理大夫橘俊綱の養子〔『中右記』〕。官位正二位大納言小野宮大納言と号す。
== 経歴 ==
左近衛少将左右中弁などを歴任し、寛治8年(1094年)6月蔵人頭に任ぜられる。承徳2年(1098年参議として公卿に列し、康和元年(1099年従三位に叙せられる。
嘉承元年の年末(1107年1月)、自分より後に参議になった藤原宗忠源基綱が先に権中納言に昇進した〔藤原宗忠・源基綱の権中納言任官時期は嘉承元年12月27日(1107年1月29日)。2人の参議任官時期は、藤原宗忠:康和元年12月(1100年1月)、源基綱:承徳2年12月(1099年1月)。(『公卿補任』)〕ことをきっかけに、師頼は朝廷への出仕を取りやめてしまう〔藤原宗忠は「其後嘉承元年予并任基綱中納言後籠居」(『中右記』大治4年9月7日条)と記している。なお、藤原宗忠は、のちに師頼が中納言になったことを聞いて、彼が18、9年出仕しない間に18人が(参議であった)師頼を飛び越して中納言になったと嘲笑する記述も残している(『中右記』大治5年10月5日条)〕。加えて、天仁元年(1108年)には3年間出仕しなかったことにより殿上籍を削られたが、このことにより却って師頼は隠遁の意思を強くしてしまい、父・俊房の没後の大治年間に入るまで20年以上も出仕しなかった。また、師頼の籠居は父の俊房を深く悩ませたという。
大治5年(1130年)権中納言、同6年(1131年)従二位権大納言、長承2年(1133年正二位保延2年(1136年大納言に昇進。議政官として右兵衛督近江権守備前権守・太皇太后宮大夫令子内親王)・春宮大夫(体仁親王、後の近衛天皇〔近衛天皇の母藤原得子(美福門院)の母が師頼の妹(源方子)であった縁故による任官であったとされる(『今鏡』第7 270段)〕)などを兼帯した。
保延5年(1139年)12月薨去。72歳だった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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