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源 有賢(みなもと の ありかた)は平安時代後期の公卿。刑部卿・源政長の子。 == 経歴 == 延久2年(1070年)に宇多源氏の源政長の次男として誕生。承暦3年(1079年)に10歳で従五位下に叙爵する。 寛治3年(1089年)に昇殿を聴され、中務大輔に初任。寛治5年(1091年)に従五位上・左近衛少将に叙任され、翌年備後権介を兼ねる。寛治8年(1094年)府労により正五位下に昇叙。永長2年(1097年)さらに従四位下に進んだ。しかし、同年閏1月に父の政長が正四位下内蔵頭で死去し、有賢の昇進も停滞する。 長治3年(1106年)に左京権大夫に任ぜられる。その労で永久2年(1114年)に17年ぶりに昇叙され従四位上となる。永久6年(1118年)には三河守を兼任し、天治2年(1125年)さらに11年ぶりの昇叙で正四位下・阿波守に叙任された。大治4年(1129年)斎院長官を兼帯。翌年には但馬守となった。天承元年(1131年)に鳥羽天皇の院別当となる。 長承4年(1135年)、10年ぶりの昇叙で正四位上に進む。さらに翌保延2年(1136年)に従三位に叙せられて67歳にして公卿に列した。保延5年(1139年)の正月に阿波権守を兼ねるが4月に出家。同年5月5日に薨去。享年70。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源有賢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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