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西ノ海 嘉治郎(3代)(にしのうみ かじろう、1890年11月2日 - 1933年7月28日)は、鹿児島県西囎唹郡西国分村(現・鹿児島県霧島市)出身の元大相撲力士。第30代横綱。本名は松山 伊勢助(まつやま いせすけ)。 == 来歴 == === 初土俵~横綱昇進まで === 1890年に鹿児島県で生まれる。子供の時から剛力で鳴り響いたため、二代目西ノ海嘉治郎に見出されたことから上京、鹿児島県出身の力士が多く所属する井筒部屋に入門した。1910年1月場所で源氏山大五郎と名乗って初土俵を踏むと順調に昇進し、1916年1月場所に新入幕を果たすとこの場所は9勝1敗の好成績〔二代目西ノ海(8勝1分1休)と優勝同点〕で、1918年5月場所で関脇に昇進する。最初は出羽海部屋方に所属して優勝旗手も4回務めていたが、上に大錦卯一郎・栃木山守也という横綱が存在していたので、バランスをとるために1922年1月場所で大関昇進と同時に連合側へ回された。 その後、三河島事件の引責で大錦卯一郎が土俵を去って横綱が栃木山守也だけとなり、興行上の観点から再度、東西に横綱一人ずつを並び立てたいという事情が発生した〔同じような事情は、1986年7月場所後に横綱昇進した双羽黒光司(北尾光司から改名)の際にもあった。同年1月に隆の里俊英の引退で千代の富士貢の一人横綱となっており、幕内最高優勝の経験がないながらも7月場所で北尾光司は優勝同点であり、また昇進させないとなると北勝海信芳の大関昇進に伴って6大関となるため、これらのバランスをとる意味で北尾光司を横綱に昇進させたという事情がある。〕。源氏山の昇進前の成績は1922年1月場所が7勝3敗、同年5月場所は腰骨挫傷によって全休、1923年1月場所こそ千秋楽に栃木山守也と引き分けて8勝1敗1分(優勝同点)だった。さらに横綱昇進を否定される一番の原因は幕内最高優勝(優勝相当成績)が全く無いこと〔幕内最高優勝が無いまま横綱昇進を果たした例は、西ノ海以降でも照國萬藏・双羽黒光司のみ。〕で、それだけに横綱審議委員会が存在して昇進基準内規も定められている現在から見ればとても考えられない横綱昇進だった。吉田司家も源氏山の横綱免許申請を聞いた際には「あまりにも時期尚早」と断固拒否したが、最後は東京大相撲協会の説得に「(源氏山の)将来を期待して」と承認された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西ノ海嘉治郎 (3代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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