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源 経長(みなもと の つねなが)は平安時代中期から後期にかけての公卿。権中納言・源道方の四男。 == 経歴 == 寛仁4年(1020年)雅楽助に任ぜられ、治安2年(1022年)に後一条天皇の蔵人に補任。治安3年(1023年)式部少丞に任官する。 治安4年(1024年)従五位下に叙爵。左馬助に叙任される。万寿2年(1025年)少納言に任ぜられ、万寿4年(1027年)従五位上に叙せられる。長元2年(1029年)には五位蔵人となり、長元3年(1030年)左少弁に任官。紀伊権守・防鴨河使を兼ねた。長元5年(1032年)権中納言・藤原資平の次男、資仲の元服の際には理髪を務めている〔『小右記』長元5年11月26日条。〕。長元6年(1033年)従五位上・斎院長官に叙任。長元8年(1035年)和泉守を兼ね、右中弁に昇進。 長元9年(1036年)従四位下、続いて従四位上に叙せられる。長暦2年(1038年)権左中弁に転じ、正四位下に昇叙。長暦3年12月(1040年1月)に左中弁となり、長久2年(1041年)に左京大夫・伊予権守・周防権守を兼帯した。長久3年(1042年)蔵人頭・宮内卿を経て、長久4年(1043年)参議に任ぜられて公卿に列した。 寛徳元年(1044年)従三位・美作権守に叙任される。寛徳2年(1045年)には右大弁を兼任。永承2年(1047年)正三位・勘解由長官に叙任された。永承4年(1049年)近江権守を兼ねる。永承5年(1050年)従二位・左大弁に叙任され、播磨権守・備後権守を兼帯。天喜6年(1058年)兼職を辞任して権中納言に任ぜられた。 康平6年(1063年)正二位に叙せられる。皇后宮大夫・中宮大夫を経て、延久元年(1069年)皇太后宮大夫に任官。同年権大納言に至るが、延久3年(1071年)4月に病のため出家し、同年6月6日に67歳で薨去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源経長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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