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源 義信(みなもと の よしのぶ、生没年不詳)は、平安時代後期の河内源氏の武将。源義親の長子で、源義家の孫。通称対馬太郎。官位は『尊卑分脈』によると従四位下、左兵衛佐。 == 経歴 == 源義親の長子として生まれるが、義親が西国で乱行を起こしたため、家督は異母弟の為義が叔父の義忠の養子となって継承した〔『尊卑分脈』為義傍注〕。義親の正室は肥後守・高階基実の娘であるが、義父の基実は義親の乱行により肥後守を罷免され、贖銅の刑を科された。角田文衛は、義信(長男)・義俊(次男)・義泰(三男)・義行(五男)がそれぞれ対馬太郎・対馬次郎・対馬三郎・対馬四郎の呼び名を持つことから、この4人が正室所生の同母兄弟で、為義は庶子だったのではないかと推測している〔角田文衛「源為義の母」『王朝の明暗-平安時代史の研究 第2冊』東京堂出版、1977年〕。武士として目立った活動は見られないが、官途は為義より高く最終的に従四位下左兵衛佐となっている。なお、為義を河内源氏の棟梁とする概念が生まれるのは源頼朝が鎌倉幕府を開く前後からであり、当時は源氏各系統の上に立つ「嫡流」というものは存在しなかったという見解もある〔細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社〈歴史新書〉、2012年〕。また、為義は義信の弟ではなく叔父であるとする説もある〔佐々木紀一は『尊卑分脈』成立以前の中世系図(北酒出本『源氏系図』、長楽寺本『源氏系図』、妙本寺『源家系図』、『佐竹家系譜』)や藤原忠実の日記『殿暦』天仁2年2月17日条の「義家朝臣四郎男為義」の文言などから、為義は義家の四男であったとする説を提唱している(「源義忠の暗殺と源義光」『山形県立米沢女子短期大学紀要』45、2009年)。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源義信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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