翻訳と辞書
Words near each other
・ 源義光
・ 源義公
・ 源義兼
・ 源義兼 (曖昧さ回避)
・ 源義円
・ 源義国
・ 源義基
・ 源義季
・ 源義宗
・ 源義家
源義平
・ 源義広
・ 源義広 (志田三郎先生)
・ 源義広 (毛利治部丞)
・ 源義広 (紺戸氏祖)
・ 源義康
・ 源義弘
・ 源義忠
・ 源義忠暗殺事件
・ 源義憲


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

源義平 : ミニ英和和英辞書
源義平[みなもと の よしひら]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

源義平 : ウィキペディア日本語版
源義平[みなもと の よしひら]

源 義平(みなもと の よしひら)は、平安時代末期の武将源義朝の長男。通称は鎌倉悪源太(悪源太、鎌倉源太とも)。母は京都郊外の橋本の遊女〔尊卑分脈〕または三浦義明の娘〔清和源氏系図〕であり、源頼朝義経らの異母兄にあたる。
== 生涯 ==

=== 大蔵合戦 ===

久寿2年(1155年)、父・義朝が叔父・源義賢(義朝の異母弟、木曾義仲の父)と対立した際には義賢の居館武蔵国比企郡の大蔵館〔(埼玉県比企郡嵐山町)など、大蔵館の場所には諸説有る〕を急襲し、義賢や義賢の舅・秩父重隆を討ちとって武名を轟かせた。この合戦は秩父一族内部の家督争いに端を発したものに、源氏内部の争いが結びついたものである。なお、この事件の後に義平が処罰されていないのは、当時、武蔵守であった藤原信頼と義朝が関係を深めており、信頼の黙認があって起こした事件であるからとする説がある〔元木泰雄『保元・平治の乱をよみなおす』(NHKブックス)〕〔野口実『源氏と坂東武士』(吉川弘文館)〕。
この大蔵合戦以降「鎌倉悪源太」と呼ばれるようになった。この「悪」は善悪の悪ではなく、「強い」「猛々しい」というほどの意味であり、「鎌倉の剛勇な源氏の長男」という意味である。中世の悪党の用法もこれと同じである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「源義平」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.