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源 資綱(みなもと の すけつな)は平安時代中期から後期にかけての公卿、歌人。醍醐源氏、権中納言・源顕基の長男。 == 経歴 == 長元4年(1031年)従五位下に叙爵し、同年従五位上に進む。長元5年(1032年)侍従に任ぜられ、長元6年(1033年)右近衛少将を務める。 長元7年(1034年)備中守を兼ねる。長元9年(1036年)従四位下、長久2年(1041年)従四位上に叙せられる。長久3年(1042年)正四位下・美作介に叙任。長久4年(1043年)には右近衛中将に転じ、寛徳2年(1046年)春宮権亮に任ぜられ、尊仁親王(後の後三条天皇)に仕える。右京大夫・蔵人頭・播磨権介を経て、永承6年(1051年)参議に任ぜられ公卿に列した。永承7年(1052年)伊予権守を兼任。 永承8年(1053年)皇太后宮権大夫(禎子内親王)を兼ね、天喜5年(1057年)従三位・備前権守に叙任。康平5年(1062年)には周防権守に転じ、治暦3年(1067年)右兵衛督となる。 治暦4年(1068年)後三条天皇の即位に伴って正三位・権中納言に叙任される。治暦5年(1069年)従二位、延久2年(1070年)正二位に昇叙され、承暦4年(1080年)中納言に至った。 永保2年(1082年)の正月1日に出家し、翌日に薨去。享年63。歌人としても活躍し、『後拾遺和歌集』には絵式部との贈答歌が残る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源資綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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