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源通資 : ミニ英和和英辞書
源通資[みなもと の みちすけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 

源通資 : ウィキペディア日本語版
源通資[みなもと の みちすけ]

源 通資(みなもと の みちすけ)は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。正二位権大納言淳和奨学両院別当〔『尊卑分脈』には承任大臣宣旨と注記がある。〕。内大臣右大将源雅通の二男。源通親の同母弟。妻は従三位藤原長輔の娘、源俊光の娘。
子は大納言に至った源雅親左中将に至った源守通、参議に至った源雅清右中将に至った唐橋通時、勝海、道禅、道順、女子(惟明親王室)がいる。
== 経歴 ==
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
保元3年(1158年)4月6日、叙爵暲子内親王御給。〕。長寛3年(1165年)5月9日、侍従に任ぜられる〔源俊長右京権大夫を辞しての挙任。〕。永万元年(1165年)12月30日、昇殿を許される。永万2年(1166年)1月12日、従五位上に昇叙。仁安3年(1168年)8月4日、正五位下に昇叙〔朝観行幸の賞。〕。仁安4年(1169年)1月11日、阿波権介を兼ねる。嘉応元年(1169年)4月16日、左少将に任ぜられる。嘉応2年(1170年)11月9日、従四位下に昇叙〔建礼門院当年御給。〕。嘉応3年(1171年)1月18日、丹波権介を兼ねる。承安2年(1172年)1月23日、従四位上に昇叙。承安5年(1175年)1月23日、美作介を兼ねる。同年4月27日、父雅通の喪が明けて復任。治承2年(1178年)1月5日、正四位下に昇叙。養和元年(1181年)11月28日、左中将に転任。養和2年(1182年)3月8日、加賀権介を兼ねる。寿永2年(1183年)12月10日、蔵人頭に補せられる。元暦元年(1184年)10月、禁色を許される。
文治元年(1185年)6月10日、参議に任ぜられる。左中将は元の如し。文治2年(1186年)2月30日、周防権守を兼ねる。文治3年(1187年)1月23日、従三位に叙される。建久元年(1190年)7月17日、権中納言に任ぜられる。同年12月14日、正三位に昇叙。建久4年(1193年)11月21日、勅授帯剣を許される。建久6年(1195年)4月7日、従二位に昇叙〔兄通親が前年に稲荷祇園行幸の行事で賞されたことの譲りによる。〕。建久8年(1197年)12月15日、左衛門督を兼ね、検非違使別当に補される。建久9年(1198年)9月12日、大嘗会の御禊次第司御前長官に補される。正治元年(1199年)6月22日、権大納言に任ぜられる〔同日、兄通親は右大将兼任のまま内大臣に任ぜられている。〕。正治2年(1200年)1月5日、正二位に昇叙〔前年の朝観行幸の賞。院司。〕。建仁2年(1202年)10月26日、淳和奨学両院別当に補される〔内大臣右大将であった兄通親が突然薨去したため。〕。元久2年(1205年)7月8日、薨去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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