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源 長経(みなもと の ながつね、生没年不詳)は平安時代中期の貴族。醍醐源氏、権大納言・源重光の子。官位は正四位下・越前守。初名は源明理(みなもとのあきまさ)。 永祚2年(990年)9月1日に一条天皇の五位蔵人に補任。時に正五位下・右近衛少将。正暦4年(993年)に左近衛少将に転じ、正暦6年(995年)正月7日に従四位下に叙せられた。しかし、長徳2年(996年)4月24日に長徳の変が発生し、藤原伊周・隆家兄弟が失脚して中関白家が没落すると伊周の義兄弟(明理は伊周の妻の兄弟)にあたる明理も連坐して殿上の簡を削られてしまった。同年7月27日には本府の役に従うべしとの宣旨が下り、昇殿は聴されないものの、左少将として、近衛府の役を務めた。 その後、長保元年(999年)9月24日に左京大夫に転じ、寛弘元年(1004年)頃に長経と改名。摂津守・備前守・越後守・讃岐守と受領を歴任した。治安3年(1023年)頃には修理権大夫を務めている。 == 系譜 == *父:源重光 *母:行明親王の娘 *妻:藤原時方の娘 *長男:源経成(1009-1066) *妻:源簾子(上東門院女房大納言。源扶義の娘) *女子:小兵衛 - 上東門院女房 *妻:不詳(生母不明の子女) *男子:源経信 *男子:仁暹(1001-1067) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源長経」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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