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源 雅亮(みなもと の まさすけ)は平安時代後期の貴族、有職家。甲斐守・源雅職の子。従五位下・伊賀守。 == 経歴 == はじめ大舎人助を務める。右・左近衛将監を経て、仁平3年(1153年)に従五位下に叙爵。同年皇后宮少進に叙任され〔『台記』仁平3年8月28日条。〕、8月29日には雅亮が藤原頼長の妻の乳母の養子であった縁から、頼長とその妻幸子の家司に補任〔『台記』仁平3年8月29日条。〕。また頼長より鳥羽院判代官に推挙されるなど頼長に接近。仁安2年(1152年)頼長の子師長が藤原顕頼の娘と婚姻した際には書の使いを勤仕した〔『兵範記』仁平2年正月10日条。〕。久寿2年(1155年)10月の大嘗会の御禊では女御の車の前駈を務める〔『兵範記』久寿2年10月29日条。〕。 父・雅職に続いて雅亮も装束家として活躍し、師長の束帯の着付けや頼長家にて五節の童女の着付けなどに奉仕した。また幸子の父・徳大寺実能より総角の結い方を学び、頼長の子・隆長の総角を結っている。承安年間には雅亮以外に総角を結える者は少なかったという。仁安4年(1169年)伊賀守に任ぜられる。 装束家として著した有職書『満佐須計装束抄』は平安時代後期の宮中の行事に展開する調度・装束の慣例が記されており、この時代の調度・服装を研究する上で重要な史料となっている〔『日本大百科全書』。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源雅亮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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