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源 顕国(みなもと の あきくに)は平安時代後期の貴族、歌人。村上源氏、権中納言・源国信の長男。 == 経歴 == 父・国信とともに堀河天皇に仕え、歌壇で活躍した。 嘉保3年(1096年)11月に元服。加冠は中宮大夫・源師忠で、理髪は源顕実が務めた。永長2年(1097年)正月の除目で中務侍従に任ぜられる。当時の位階は従五位下。承徳2年(1098年)には昇殿を聴され、承徳3年(1099年)従五位上に陞叙。 康和2年(1100年)正五位下に叙せられる。康和4年(1102年)五位蔵人に補され、左近衛少将を務める。康和5年(1103年)に備前介に任ぜられるが、当時の備前守は同母弟の国教であったため、顕国は同母弟の下につくことになってしまった。その際に藤原宗忠も、兄である顕国を弟の下に置くことはどうしたことだろうか、とこの人事を訝しんだ〔。長治2年(1105年)従四位下に叙され、嘉承2年(1107年)12月に令子内親王が皇后となった際には皇后宮権亮を兼任。備前権介も務めた。また、天永4年(1113年)権大納言・源雅俊の子息・源憲俊の元服の儀において理髪を務める。 藤原宗忠と交流がありその娘を娶った。後に恵珍を出産、宗忠は「最愛の孫」とその日記で述べている。また、元永2年(1119年)には宗忠・宗能と共に熊野詣を行った。 皇后宮権亮を兼ねた後は新たに官職を経ることなく、没するまで左少将を務め上げた。保安2年(1121年)5月29日に卒去。享年39。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源顕国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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