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源顕基 : ミニ英和和英辞書
源顕基[みなもとあらわもと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
: [き, もとい]
 【名詞】 1. basis 

源顕基 : ウィキペディア日本語版
源顕基[みなもとあらわもと]
源 顕基(みなもと の あきもと)は平安時代中期の公卿醍醐源氏安和の変で失脚した源高明の孫で、権大納言源俊賢の子。後一条天皇側近として仕えた。
== 経歴 ==
寛弘8年(1011年従五位下叙爵し、長和2年(1013年侍従右兵衛佐に任ず。
長和2年(1013年)に左大臣藤原道長賀茂社に詣でた際にはこれに参じている〔『御堂関白記長和2年4月23日条〕。長和3年(1014年左近衛少将に任ぜられる。長和4年(1015年)従五位上・備前介に叙任。
長和5年(1016年正五位下に叙される。同年2月に後一条天皇即位すると、顕基は天皇に信頼され、寛仁2年(1018年)に従四位下に叙され、播磨介周防権介右近衛中将を歴任。治安3年(1023年)従四位上に進み、蔵人頭に補され、左近衛中将に転じる。さらに長元2年(1029年従三位参議に叙任され公卿に列し、長元8年(1035年権中納言に至る。
この間の治安4年(1024年)には顕基の従者が源資通の従者と闘乱を起こしたため勘事に処されている〔『小右記治安4年3月4日条〕。また、長元元年(1028年)に顕基の従者が盗人に射殺されている〔『小右記』長元元年11月3日条〕。
しかし、長元9年(1036年)に後一条天皇が29歳の若さで崩御。それに伴って顕基も出家した。永承2年(1047年)の9月、48歳にして薨去

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「源顕基」の詳細全文を読む




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