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源 顕定(みなもと の あきさだ)は、平安時代中期の貴族。村上天皇の孫で、一品式部卿・為平親王の子。 == 経歴 == 六位蔵人、侍従、弾正大弼を歴任する。 長和5年(1016年)2月に嫥子女王が斎宮となると斎宮別当に任ぜられるが〔『左経記』長和5年2月22日条〕、7月20日に妄りに故障を申し立てたことから、藤原兼綱・源親方とともに恐懼に処された〔『御堂関白記』長和5年7月20日条。〕。寛仁元年(1017年)に敦明親王が皇太子を辞して、敦良親王(のち後朱雀天皇)が立太子されると東宮昇殿を聴された〔『左経記』寛仁元年8月10日条〕。 寛仁2年12月(1019年1月)に敦康親王が死去すると、その葬送の次第を母に伝達している。寛仁3年(1019年)頭弁・藤原定頼に嘲笑されるが、この際に定頼が摂政・藤原頼通の発言を引き合いに出したことから、逆に定頼が頼通の勘気を受けて謹慎させられている〔『江談抄本』59〕。その後、民部大輔に任ぜられ、位階は従四位下〔『本朝皇胤紹運録』〕(または上〔『尊卑分脈』村上源氏〕)に至った。 治安3年(1023年)8月4日卒去。享年は不明だが、兄の生年から45歳以下であったとみられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源顕定」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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