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源 高実(みなもと の たかざね)は平安時代中期から後期にかけての貴族。醍醐源氏、但馬守・源高房の長男。官位は正四位下・阿波守。 == 経歴 == 後冷泉天皇の治世下にて蔵人に補任され、承暦元年(1077年)以前に伯耆守に任ぜられる〔『水左記』承暦元年12月5日条。〕〔『中右記』嘉承元年5月23日条。〕。応徳3年(1086年)には越前守と見え、その後にも康和4年(1102年)頃に讃岐守、長治元年(1104年)に阿波守〔『中右記』長治元年10月14日条。〕と、主に各国の受領を務め上げた。越前守在任中の応徳3年(1086年)には、越前国大野郡牛原荘荒地二百余町を醍醐寺圓光院に寄進している。また、同年に堀河天皇が即位した際には、その即位儀において右大将代を務めた。 寛治元年(1087年)には院昇殿を聴されている〔『為房卿記』寛治元年4月7日条。〕。位階は、寛治2年(1088年)に従四位下に叙せられ〔『中右記』寛治2年正月19日条。〕、寛治6年(1092年)にはさらに従四位上に昇叙〔『後二条師通記』寛治6年正月5日条。〕。康和5年(1103年)正四位下に至った〔『中右記』康和5年正月6日条。〕。この間の承徳2年(1098年)中宮亮を兼任している〔『中右記』承徳2年4月2日条。〕。中宮御堂の造営を命ぜられたが、嘉承元年(1106年)5月23日、造営の途中で61歳にして卒去。最終官位は正四位上阿波守兼中宮亮。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源高実」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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