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溝口 宣秋(みぞぐち のぶあき、慶長14年(1609年)- 延宝元年4月20日(1673年6月5日))は、江戸時代の旗本。新発田藩第2代藩主溝口宣勝の二男。3代藩主溝口宣直の弟。分家独立して旗本となり、交代寄合切梅(横田)溝口家の祖となる。通称は又十郎。母は堀秀政の娘。正室は大久保教隆の娘。 1622年に徳川秀忠に初目見えをする。1628年、父宣勝の遺領のうち越後国蒲原郡のうち6000石を分与されて、寄合に列する。知行地に陣屋を設けて大名同様に参勤交代することを許され、子孫も代々その地位にあった。知行地の陣屋ははじめ水原(現新潟県阿賀野市)に置かれたが、その後1644年に切梅(現新潟県新発田市切梅)に移転。これにより宣秋の家は切梅溝口家と呼ばれる(嫡子宣就の代に陣屋を陸奥国岩瀬郡横田(現福島県須賀川市横田)に移したため、その後は横田溝口家と称される)。1653年には下館城の在番を勤める。1673年に65歳で歿。法名は浄珊。江戸駒込の吉祥寺に葬る。同寺は以後同家の代々の葬地となった。家督は長男の溝口宣就(のぶなり)が継いだ。 == 関連項目 == *交代寄合 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「溝口宣秋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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