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溝口水騒動(みぞのくちみずそうどう)は、1821年(文政4年)に発生した干ばつの際に、二ヶ領用水(現在の川崎市多摩区から幸区までを流れる用水路)下流の川崎領19ケ村の農民一万四千人あまりが当該用水を堰き止めたとして、稲毛領溝口村(現在の同市高津区)の名主鈴木七右衛門宅を襲撃した事件。二ヶ領用水に絡む大小さまざまの騒動がある中で、最も大きい騒動となった。 この事件の記録は、武州川崎領大師河原村年寄又兵衛の倅・粂七の口上書をはじめとして、川崎領に多くの記録が残っているが、一方で稲毛領には残されていない〔鈴木2004, p105〕。 == 背景 == 稲毛・川崎二ケ領用水は多摩川の水を上流の2か所の取り入れ口から取水し、これを稲毛領久地村内に設置された分量樋に集め。ここから溝口・小杉・川崎・根方の各堀に分水していた。 1821年(文政4年)は春から雨が少なく、日照り続きで田植え時にも雨は降らず、夏には旱魃になった〔。5月頃から溝口村と久地村の百姓は用水不足を踏まえ、川崎堀の分水口を閉め切り、自分たちに有利になるように分水を調整していた(『小泉次大夫用水史料』)。このため二ヶ領用水の下流、川崎領の33の村々では、農業用水はもちろん飲料水にも事欠いていた。そこで川崎領の名主たちは御普請役人に訴え、7月4日の夕方から7日の夕方にかけて、久地分水樋の用水口を止め、川崎領の村々に水が流れるように取り計らった。しかし当日になっても一向に水が流れてこないので調べてみると、溝口村名主の鈴木七右衛門と久地村の農民らが、自村に水を確保するため、水番人を追い払い、雨乞いと称して分水樋の川崎堀を筵でせき止めていた事実が発覚した。川崎領の農民たちは役人に訴え出たが解決されなかった。7月5日、川崎領の百姓たちは川崎村八丁畷で終日対策を話し合い、丸屋鈴木家に対する打ち壊しや犠牲者の救済策など、騒動の具体的な内容が決められた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「溝口水騒動」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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